★宮崎の名所旧跡紹介★

宮崎の名所旧跡、その5 宮崎徒歩巡り★宮崎の名所旧跡★

宮崎の名所旧跡徒歩の旅第6弾


道の駅フェニックスと日南海岸
「宮崎は広いなあ!」と改めて思っています。宮崎県内を、主に徒歩で巡り名所・旧跡あるいは、ここはと言うようなビューポイントを紹介し始めてこのページが第6弾になります。はじめて訪れ「ヘぇーこんな素晴らしい所があったのか」とか、宮崎の人々の人情味あふれたもてなしに接して宮崎の素晴らしさを誇りに思うことを何度も経験しました。このコンテンツを追加して2年8ヶ月。紹介する名所や旧跡もかなりの数に上りましたが、まだまだ訪れていない所が無数にあります。会社の休みを利用してほぼ毎週、デジカメを小脇に抱え県内のどこかここかに出掛ける行き当たりバッタリの徒歩の旅ですが、季節により全く別の所に見えることもしばしばです。地域がかたよらないよう宮崎県の北から南まで、海岸部から山間部まで満遍なく出向いて紹介するのが理想ですが、いろんな制約と情報不足で消化不良の感は否めません。しかしながら、これからも生活に密着したものを足で歩いて、見て周り紹介して行くスタンスは続けていくつもりです。ほとんどの場合、目的地に行く途中までは車で移動します。車を適当な所に停めて、そこから歩きます。事前に調べずに行動してしまって、目的の場所にたどり着けなかったり、逆に歩いている途中で思いがけない名所旧跡を発見したり、土地の人と触れ合ったりとハプニングの連続もまた、徒歩の旅の醍醐味であります。これまで通り、思いつくまま感じたままを書き記していこうと思っています。

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久しぶりのアメリカ再上陸【前編】

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第8弾宮崎散策どんげけ?

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台風被害2005年14号台風

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亀と白の釣行バトルin宮崎

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父の遭難と奇跡の生還in宮崎

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                  このページの目次

1、諸塚村奥地散策

2、初夏の日南海岸を歩く

3、都農町矢研の滝と尾鈴渓谷

4、名所旧跡・宮崎県北日向岬を歩く

5、日南ダムと坂元棚田

6、宮崎県美郷町北郷区のアジサイ

6、野尻町の野尻ー内山林道を歩く

7、宮崎神宮の森と宮崎県総合博物館

8、部分日食のほんの一部

9、野尻町から浦之名川まで往復22kmを歩く

10、宮崎市北部の垂水公園周辺散策

11、久しぶりの海、鵜戸から日南へ

12、高鍋から川南の海岸線を歩く

13、久しぶりの日南富土は暑かった

14、番外編熊本人吉のたび

15、串間市の国道218号線

16、宮崎市青島近辺の秋の訪れ

17、延岡市の行縢山と矢筈の滝(行縢の滝)

18、宮崎県西都市の不思議な神社周辺

19、宮崎市佐土原町の巨田神社と鴨網猟

20、国富町法華岳公園散策

21、シーズンイン 紅葉が鮮やかなえびの高原

紅葉の季節到来 えびの高原は人の波

水の色と紅葉が鮮やかな不動池

深紅のカエデ

下を通ると明るい感じに見えます。

六観音御池と遠くは韓国岳

六観音御池なかな全体が見渡せません。

森には雌シカが5~6頭平均で群れています。
 2日目のえびの高原は、確か昨年よりかなり早く訪れたと思いますが、今年は真紅の鮮やかなカエデが、あちこちに目立っていました。
山全体が燃えるような紅葉前線の南下は、もう少し先のようですが、全体的な紅葉は例年より少し早目と高原レストランに勤めている方が語っていました。
台風や極端な雨が降らなかったことが幸いしているのでしょう。
小林市方面から上がってくる県道一号線沿いも、途中の展望台の上下や旧露天風呂周辺、七折滝など定番の見どころは、既に紅葉のピーク寸前です。
車ですと、麓から上ってきて左に硫黄山やその奥の韓国岳を見ながら、右は不動池、この一帯が第一の鑑賞スポットです。

不動池

不動池

不動池

不動池

不動池

韓国岳中腹

韓国岳中腹

レストラン近辺

レストラン近辺

レストラン近辺
不動池とその斜面の真紅と化したカエデやハゼの木々類は、見ていて全く飽きが来ません。
また、太陽の明りで刻々と色が変わって行くエメラルドグリーンの不動池の不思議な魅力、最初に訪れた人が始めに発する感嘆の言葉「ワーッきれい!!」からえびの高原の旅が始まります。
今日は、たまたまラジオやテレビで紅葉情報が流されていたためか、不動池の駐車場はもちろん、道の両側には車がズラリと並び駐車するスペースがありません。
仕方なくレストハウス方面に下って行き、不動池から約1,5kmも行ったところにわずかなスペースを見つけて車を潜り込ませました。
紅葉鑑賞には県道に面した不動池から六観音池御池、右手に甑岳を見ながら、白紫池と辿るコースが一番適していますが、車から不動池までも、かなりの距離と勾配です。
「これも健康ウォーキング」と割り切って散策コースへと向かいました。
前日までは雨が降っていて気温も10度近くまで下がり肌寒かったそうですが、この日は太陽も照り、午後1時過ぎの気温は16度。

雌シカの群れ

雌シカの群れ

雌シカの群れ

雌シカの群れ

雌シカの群れ

韓国岳

幻想的

白紫池の上部

六観音御池

六観音御池

六観音御池

六観音御池

六観音御池

六観音御池

六観音御池
歩けばさらに身体も温(ぬく)もってくる絶好の紅葉狩り日和となりました。
えびの高原は鮮やかな不動池から六観音御池にかけての登山道一帯は、平日にもかかわらずモミジ狩りの観光客がひっきりなしに行き来していました。
特に六観音御池の展望所には三脚カメラがズラリと並んでいました。
聞くと、風波の収まるのを待っているとのこと。
そう言えば、この池の周囲が一番鮮やかで、訪れる人々も群を抜いていました。
ただし、その先にある白紫池は、紅葉にはほど遠い状態で山の頂上部が赤く染まっている程度でした。
この一帯は赤松で覆われていてカエデやナラ、ハゼなど紅葉する木々が少ないので、これ以上の紅葉は無理なのでしょう。
不動池から六観音池御池まで約2km、六観音御池から白紫池まで約1km弱、そこからレストセンターまでは約1,5kmほどでしょうか。
片道4,5kmほどのゴージャスな散策コースです。
ただ、大半の人々は白紫池からUターンしていましたが、私は構わず、レストセンターまで一直線に下りて行きました。

見事な紅葉

見事な紅葉

見事な紅葉

見事な紅葉

鮮やか紅葉

鮮やか紅葉

鮮やか紅葉

鮮やか紅葉
途中、たくさんの野生のメスジカにも会うことが出来ました。
ただ、レストセンターまで下りたのは良いとして、そこから車までは約4km。
これには参りました。
再度、書きますが不動池から入って行きますと、道は整備されているものの、たくさんのゴロタ石でデコボコしています。
足もとが非常に悪いので大方の人はセオリー通り登山用の衣類や靴をはいていました。
私はいつものように「スベル」運動靴に半そでTシャツにジャージ姿。
10月末の1,200m級の高原を歩くには似つかわしくないイデタチです。
訪れる方は特に、足場が悪いので十分気をつけてください。
そろそろ11月です。
1年中素晴らしいえびの高原ですが、その中でも今の時期は出色。
この鮮やか色を拝めるのもあと1週間から10日くらいでしょうか。
見頃に訪れるのも良い思い出になるでしょう。
と、いろいろ書いてきた私ですが、実を申せば不動池から先に行ったのは今回が初めてでした。
イヤーッあの鮮やかな紅葉には感動です。
宮崎市の西隣法華岳公園散策

雨上がりの法華岳線舗道

湯の谷資源活用ヘルスセンター

晩秋のアジサイもおつなもんですね。

ランタナ?石垣を覆っています。
 27、28日のウィークデーに連休を取り、五ヶ瀬渓谷の紅葉の写真撮影を目論みましたが、初日は雨。現地の人に尋ねると、まだ少し早かったようです。
仕方なく計画を変更して、初日は宮崎市の西隣・国富町を訪れました。

サザンカも雨に濡れて嬉しそう

法華岳公園内日本庭園

ランタナ、日本庭園の彩りを飾っています。

ランタナ、日本庭園の彩りを飾っています。
ここは、ほぼ1年ぶりの訪問です。
朝、目が覚めると雨が降っています。
それも冷たい冷え切った冬のような雨です。
一旦は出掛けるのを諦めました。
ところが、昼前から急速に持ち直し、ちょっと遅くなりましたが、午後の2時前に国富町の、さらに西隣に位置する綾町の、綾川荘運動公園を目指しました。
ここは、いつも車を駐車するスペースがたくさんあり非常に便利です。
この駐車場から、綾―法華岳線を利用して法華岳公園を目指します。
この駐車場から法華岳の上部にある日本庭園までは約4,5kmほどの距離です。
しかも、道程の大半は上っています。
途中、綾町の温泉保養施設があります。
「湯の谷資源活用ヘルスセンター」です。
ひなびた、古めかしい建物があるだけの、とてもリゾートと呼ぶような施設ではありませんが、近くの農家の人々が骨休めと、おしゃべりに訪れる山の中の温泉です。
いつも通る時は、ほとんど車など止まっていませんが、今日は珍しく10数台の車が駐車場に止まっています。写真のように雨の影響で、道路は湿り野良仕事は一服と言ったことで「それでは温泉でも」と言った風情です。この温泉施設辺りがこのコースの中間地点に当たります。
コースの距離自体は比較的短いのですが、時間がないときや遠くまでは無理かなと言った時はよく利用して歩きます。

雨の舗道

温泉施設

生垣の花々

身投げ展望所

サザンカ

日本庭園

日本庭園

鮮やかアジサイ

日本庭園

法華岳寺
写真のように、道幅がある割りには通る車が極端に少ないので注意を怠らなければ安全です。
この公園の最上部には標高830mの釈迦岳に通じる登山道が整備されています。
思えば、昨年の10月にこの山に登り、それまで傷めていた右ひざをさらに悪くした思い出があります。
ですから、今日は日本庭園までと決めていました。
この法華岳公園には紫式部の身投げの伝説や法華岳寺、グラススキーから下方には見事な桜の並木やシャクナゲ園、さらには自然公園などがあり、四季を通して多くの人々が訪れます。
今日は、たまたま月曜日で訪れる人もまばらな状態です。
ところで、日本庭園と言っても、有名で豪華な日本中に散らばる豪華なものではありません。
ごくごく平凡な日本式の庭園と言った方がしっくりきます。
休憩所や枯山水、小高い丘などがしつらえられていて、春は桜、秋は紅葉が楽しめます。
道中にはランタナなどの花々が植えてあります。
今回は、そんな国富町自慢の法華岳公園のほんの一部にスポットを当てて紹介しました。
宮崎市佐土原町の巨田神社と鴨網猟
 そして、もう1ヶ所、鹿野田神社の後に訪れたのが巨田(こた)神社です。
少し前まではこの巨田を読むことが出来ませんでした。
この神社は、鹿野田神社より規模が大きく創建されたのも古く由緒ある神社です。

 巨田(こた)神社

 巨田)神社

 巨田)神社

 巨田)神社

 巨田)神社

          
巨田神社本殿と棟札22枚             昭和53年国指定重要文化財
 天長8年(831年)の鎮座と伝えられ、誉田別尊(応神天皇)及び住吉四社の神へお奉祀してあります。
本殿は「三間社造り」で、文安5年(1448年)に上棟修造され、さらに昭和56年の修復によって、室町時代の神社建築様式をそのまま残している南九州にも数少なく、県下では唯一の社殿です。
神社には中世から江戸期までの棟札22枚が残り、この棟札によって修造と二度の再興を経たことの事実が証明されています。
また、本殿両側の摂社(向かって右側今宮社、左側若宮社)は県指定文化財(昭和58年指定)で棟札から本殿と同時期の建立と考えることが出来ます。
ご社殿前斉庭左側には、元禄12年(1699年5月28日)、城主島津惟久公が祈願成就のため奉納した石燈籠一基が現存しています。
            
 巨田神楽               平成5年佐土原町指定無形文化財

巨田神楽

巨田神楽
巨田神楽は、巨田神社に古くから伝わる神楽で、神楽面や大太鼓などの紀年銘から慶長年間(1600年頃)には舞われていたようです。
毎年、秋の例祭日には巨田神社の境内で33番が奉納され、町内外の見学者は、その太古の神々の神聖な世界に引き込まれ、厳かな秋の1日に浸っています。
この神楽は、哀愁を帯びた旋律と軽快なリズムを横笛と太鼓で表現し、他所と違った独特の趣きを有しているところが特徴としてあります。
                                 参考:宮崎市佐土原町教育委員会
        
 巨田の鴨越網猟とその技法        昭和54年宮崎県無形文化財指定
 巨田の大池と、それを囲む丘陵地は400年以前から越網の猟場として受け継がれ、現在、石川県片野と、この巨田のみが日本に残る貴重な古式猟地です。
渡り鳥の季節、昼間、池を埋めた鴨は、日の入りに飛び立って、餌場へ、日の出とともに休息池に戻り羽を休めます。
この時、鴨は池を囲む丘陵の上スレスレの高さで丘を越していこうとします。
この習性を利用して、この神社の位置からも見えるような丘の立木を切り鴨の通る道(越または坪)を開きます。

鴨網説明板

鴨網説明板

鴨網の説明

鴨網の説明

「坪」の説明
鴨の出入は日の出、日没の20分前後と定まっています。
この時を見計らって、坪に隠れて越網を構え、矢のような速さで飛んでくる鴨の鼻先めがけて投げかけます。網の目に首を突っ込んだ鴨は網とともに落下してきます。
瞬間に鴨の飛翔方向、高低、速度、不測の方向転換などの予測判断を行い、網投げ時期を決定することは各種運動競技の呼吸に合致するものであり、当然熟練した技法が要求されます。
江戸期は、藩の猟場として、許可された者のみが坪に立つことを許され心身鍛錬のひとつとして受け継がれ、現在に至っています。
                                  参考:宮崎市佐土原町教育委員会
池の周囲には以下のような看板が立っていて今でもこの越網猟が行われていることを物語っています。
                  
  巨田池 進入禁止の告知

 巨田池

 巨田池

 巨田池

 巨田池

 巨田池
この地域は、400年の伝統ある佐土原町文化財指定鴨網猟の区域です。これより先の進入を厳禁致します。
期間:11月15日~翌年2月15日まで
時間:午後5時から
★この巨田池には、大小2つの池があります。周囲は約2kmほどの大きさでしょうか。
神社がある西側や北、南側は小高い丘に囲まれていて、潅木も多く入っていくのに一苦労が必要です
。唯一、東側は開けていて、その先には民家が点在しています。
鴨はそんな東側の開けた部分を避けて、西側つまり神社があるところの小高い丘を飛び越えて、餌場へ行こうとします。
丘のところどこは潅木や木々が切られ、凹状をなしています。これが坪と言われる所で、ここに狩人が隠れていて、坪の頭上を飛んでいこうとする鴨に網を投げる仕組みです。
上記にも書きましたが、3方は深い木々の丘に囲まれていて入るのが困難ですが、東側から南側にかけては農道が通っていて、羽を休めている鴨やガンを観ることが出来ます。

西都市の不思議な神社と由緒ある神社
 10月19日(月)、連休2日目です。
昨日は宮崎県北部の延岡市に泊まり、行縢山の滝まで歩を進めました。
水量は、今の時期にしてはかなり少ない方だと思います。
答えはは簡単、何故なら今年の秋は、ほとんど雨が降ってませんので。
特に今年は台風が全く日本近海に近づきません。
ま、先日紀伊半島に勢力を弱めた台風が1個上陸し日本列島を縦断しました。被害は、関東近辺で竜巻による家屋の倒壊がありましたが、そんなに大きな災害にはつながりませんでした。
農家にとっては非常に良いことです。稲が倒れず、北国ではリンゴも落ちることがありません。
それにしても、在京各局の報道は何なのですかね。
今までもそうでしたが、どんなに小さな台風でも番組の大半を割いて、「ヘーッこんなことまでやるの!?」と言うフィーバーぶりです。
私が住んでいる九州や沖縄辺りを北上している段階では、まずワイドショーなど隅に追いやられて、申し訳なさそう程度の報道ですが・・・・。
こんな時はやっぱり、日本は東京を中心に動いていることを強く感じます。
そろそろ、宮崎の山間部では紅葉が始まるころです。
今のところ情報がありませんが、昨年は10末~11月はじめにかけて動き回りました。
来週辺りから五ヶ瀬方面やえびの高原を中心に、「晩秋」の便りが届いてきそうです。
鹿野田神社全景
建物横に看板
太古井戸水の建物
ところで今日は、宮崎県の中央部に位置する西都市に出かけました。
今回は、前々から行ってみたいと思っていました西都市南部に位置する鹿野田神社と、その隣町・宮崎市佐土原町の巨多(こた)神社です。
いずれも神社ではありますが、不思議な伝説や古式ゆかしき由緒ある有名な神社です。
両神社の間の距離は、約3kmと非常に近いところに位置しています。
まず、鹿野田神社ですが、写真でご覧のとおりそんなに大きくはありません。
むしろこじんまりとまとまった集落のどこにでもあるような神社です。
周囲は、西都市の南の端で小高い丘と水田が広がる、のどかな農村地帯です。
しかしながら、この鹿野田神社、知る人ぞ知る実に不思議な神社なのです。
この神社の別名は「潮神社」と言います。
つまり「うしお」=海の潮を意味します。
写真のごとく境内には小さな社が建っています。
この建物の中に井戸があります。
その井戸が驚いたことに、潮の干満に合わせて上下するのです。
説明分にも書いてありますが、この神社から海まで12kmも離れています。
そんな陸の奥にある井戸から湧き出している水が、また驚いたことにナトリウム塩化物を多く含んだ、つまり潮水に近い井戸水なのです。

御神水の井戸

一升瓶で購入可

研究機関の水質証明書
建物内の壁には水質研究機関で調査した結果が貼られてあり、それを証明しています。
建物内には2つの井戸があり、一つはフタがしてあり、もう一つの井戸は「御神水」として販売用の一升瓶が並んでいます。
他にないかと近くの人に尋ねたら約1,5kmくらいのところにある塩竈神社が、この井戸と同じ成分を有していると言うことでした。
どちらも何時ごろから湧き出ているかは不明ですが、昔から胃腸を丈夫にする効能があり和泉式部がこの水を求めて療養に来たと言う言い伝えがあり、多くの人々が訪れ主に胃腸病用の飲用として購入しています。
私も、少し舐めてみましたが、少し甘みを帯びた塩辛さで何か海の塩と違った印象を受けました。
今回は、まさか販売しているとは知りませんでしたが、私も胃腸はあまり強くないので今度来た時には購入して帰ろうと思います。
★鹿野田神社と直接関わりはありませんが、隣町の国富町の法華岳公園の一角に「身投嶽展望台」と言う観光スポットがあり、和泉式部について次のような説明書きがあります。
 『平安時代の頃、女流歌人和泉式部が、悪病にかかり法華嶽薬師寺に参籠して大慈大悲の仏の御手にすがってひたすら読経を続けて平癒を祈ったが、少しも効果がなく、我が身の業を嘆き生きる望みも絶え果て「南無薬師諸病悉所除の願立てて身より仏の名こそ惜しけれ」と辞世の一首を残し、千尋の谷底に身を投じました。
しばらく、気を失っていた式部は、あかねの日かげに薬師如来の御姿を見て「村雨はただひと時のものぞかし己が蓑笠(身の瘡)そこに脱ぎおけ」の御返歌を賜り正気に戻ったとき、悪病は平癒して再び玉の姿となり、となり、喜んで京へ旅立ったといいます。
病気で苦しんでいた和泉式部です。病気を治したいがために、この鹿野田神社を訪ねた。
この伝説も、あながちすべてが作り話しとは思えませんね。符号するところが多く、昔のこととはいえロマンを掻き立てられます。
ここはその伝説が残されてた地であり、宮崎平野を一望出来る眺望絶景の地です。
                    
 法華嶽薬師寺の文化財
ここ法華岳薬師寺は、養老2年(718年)に金峯山長喜院として釈迦岳山頂に建てられたのが創建とされています。越後(新潟県)の米山、薬師堂、三河(愛知県)の鳳来寺薬師とともに日本三薬師のひとつとされ、かっては本堂伽藍のほか12の僧坊が立ち並ぶほどの隆盛を誇りました。寺の本尊である木造薬師如来及び両脇侍像は、その三尊他の仏像が安置されている須弥壇とともに、昭和40年8月17日に宮崎県指定の文化財となっています。薬師如来は、人間の病苦をいやし、苦悩を除くなど12の祈願を立てた如来です。この薬師三尊は、ともにヒノキ材の漆箔仕上げ、玉眼かんづくりです。入念かつ技巧的な作風で、平安時代の末期から鎌倉時代の初めに作られたと思われます。須弥壇は、唐様で朱塗り仕上げ、金箔押しのつくりです。黒漆ろ朱漆が交互に塗られ、唐獅子と牡丹が透し彫りで美しく彫刻された室町時代作製の優品です。
                                            国富町教育委員会

延岡市の行縢山と矢筈の滝
 2009年10月18日(日)、今年の秋は雨は、もとより日本に大きな影響を及ぼすような台風の襲来がありません。
先日、紀伊半島に上陸したのが今秋日本に上陸した唯一の台風です。
発生時から発達、一時は猛烈な勢力を有していて心配されましたが、既に10月の中旬。
海水温もそんなに高くはなく海水からのエネルギーの補給量が少なく、北上するごとに勢力が小さくなり、日本列島を疾風のごとく駆け抜けました。
台風もそうですが、雨の量も少ないですね。
降った日は、ほんの数えるほどにしか過ぎません。
地球温暖化で将来は風速が80m/sもあるスーパー台風の発生が予想されているのにこういう年もあるのですね。
もちろん、温暖化だからと、毎年毎年定期的に温度が上がったり、海水面が上がっていくわけではありませんが。
今日は、仕事の関係で一昨日から延岡泊まりでしたので、久しぶりに県北を動くことにしました。
と言っても訪れたところは、たった1ヶ所。
「行縢の滝」です。
記憶が正しければ40年ぶり、つまり高校以来です。
行縢山は中学校や高校の時のコースには必ず入っていました。
現在はどうなのでしょうか。

国道218号線を入った所からの遠望

由緒所正しき行縢神社

登山道最初の木橋

立派な吊り橋滝見橋

行縢山西側の雄岳831m

行縢山東側の雌岳800m弱

行縢の滝(矢筈の滝)滝見橋から

行縢の滝(矢筈の滝)底
 記憶をもう少し遡らせますと、私が6~7歳の頃、行縢山の山火事が記憶に鮮明に残っています。
延岡と言えば昔は、毎年起こる春の愛宕山の山火事が有名ですが、行縢の山火事も確か春でした。
今は国道10号線が通り建物が立ち並ぶ延岡市別府の祖母の家からその光景を観ていました。
直線距離にして20km以上はあったでしょうか、大きな炎が頂上付近で上がる姿は今でも脳裏に焼きついています。
実はもうひとつ行縢山には、引っかかるものがあります。
高校の遠足で同山に登った一学年先輩が、滝の上から滝下へ滑落死を遂げたのです。
1967年の10月20日のことです。
ショックな出来事でしたので、今でも覚えています。
その先輩は、短距離の選手として県体にも参加、生徒会の役員をしており、おまけに頭が良い憧れの人だったと覚えています。
その時載った新聞は今でも持っています。
事故後、学校の体育館で学校葬が行なわれました。
そんなこんなで、毎年、恒例からすると翌年も行くはずのこの山への遠足は中止になりました。
その時のことがあり、翌年の遠足登山は別の場所に替えて行なわれたはずです。
したがって、その後チャンスもありませんでしたが、延岡市民に親しまれているこの山に登ることはありませんでした。

行縢山遠景

行縢山遠景

行縢山遠景

行縢山遠景

行縢山遠景

行縢神社

行縢神社

行縢神社

登山道図

第1号木製橋
 今回、登ってみようと思ったのは、ホームページで滝の紹介もしているのに、「日本の滝百選」に入っている行縢の滝はまだ、触れてなかったことと、ただの偶然からです。
天気が非常によく、たまたま時間があったので近くまで行って山を見上げたところ透き通った行縢山が私の目に焼き付きました。
その美しさに惹きつけられ、自然と足が向かいました。
ただ、私の場合、ウォーキングが必須課目の一つですので、そのまま車で登山口まで行き、登るのではなく、登山道へと続く国道218号線を入ってすぐの空きスペースに車を置いて、そこからスタートです。
途中は、黄金色に輝いた収穫間近の稲や山里を眺めながら登山口までの約7kmをゆっくり楽しみながら歩きました。
さすが、この辺りまで来ると、延岡の郊外、行縢の山を背にして時間がゆっくりと流れます。
登山口は2ヶ所に分かれていて、手前の行縢神社横からと奥の駐車場脇からです。
登山口横には、県の行縢青少年の家があります。
現在は、単に山に登るだけではなく、教育の一環としてこのホームが数多く利用されています。
登山口まで2時間弱かけて来て、ここから頂上までは約3,5kmあります。
とても時間がありません。

雄 岳

雌 岳

滝見橋から

滝と雄岳

山の案内板
今日は思いつきと言うこともあり、行縢の滝の写真撮影が主目的です。
ただ、さっきも触れましたが、このところ降水量が減っていますので迫力ある画像は撮れそうにもありません。40年ぶりの行縢山です。登山道はほほ覚えていません。行縢神社さえ「あったかな?」と言う程度です。
登り始めは緩やかに、時々突出た岩を避けながら、苦もなく歩が進みます。
周囲を見渡しますと、樹齢が100年を超えるようなスギ、カシの木などが生い茂っています。
登山道は次第に凹凸が激しくなってきました。
と、前方に木製の橋が見えてきました。
頂上までは約3km.。
まだ、登り始めです。右のヒザが気になります。
右に左に折れながら上へ上がって行きます。
意外に登山客が多いのに驚かされます。
中には70近い母親と一緒に帰りを急ぐ娘さんがいました。
聞くと頂上まで登って下りる途中、時間にして既に5時間を要しています。
途中、つまづき一回転したと話していました。
それにしても元気ですね。
道は狭く、面全体をゴロタ石が覆っています。
ちょっと油断すると、転げそうです。
登山口から30分ほどでしょうか。
吊橋が見えてきました。
ここが滝見橋です。
見上げると、正面はるか頭上に滝が見えます。
滝の上部は風に流され水しぶきが見えます。
予想したとおり水量は多くありません。
右側を見上げると、800m弱の雌(め)岳が垂直にそそり立っています。
とりあえず滝の写真は撮りましたが、もう少し時間があるようですので、滝の真下まで登ることにしました。

行縢の滝

行縢の滝

行縢の滝

行縢の滝

行縢の滝底

行縢の滝底

行縢の滝底

行縢の滝底

滝見橋
 それにしても、登山道に石を敷き詰めたかのような歩きにくさです。
木々がうっそうと茂っていますので、まだ昼過ぎではありますが、森の中は薄暗く写真もストロボをたかないと映りません。
やがて、道が分岐するところまで来ました。
右に上がれば頂上へと向かいます。
左に60m折れると、そこは滝の直下です。
1枚岩を水がシュルシュルと伝って落ちています。
なんと迫力のないことか。
今回はめぐり合わせが悪かったと、諦めましょう。
水の豊富なときにリベンジの機会をもうけることで今日は退散です。
40年ぶりの行縢でしたが、登山道は100%記憶がありません。
当然です。
42年前の新聞を持ち出して、よーく考えてみましたら実はこの山には登ったことがなかったのです。
行縢山は話題にいつも出てきますし、親しみ深き身近な山ですので、ついつい登ったことがあると思い込んでいたのでしょう。
また、中学や高校の遠足はこの山をよく利用していましたので完全に勘違いしていました。
だから近いうち登る計画を立てようと思います。
宮崎市青島の秋の訪れ
 月日の流れるのは早いもので、もう10月の中旬です。
自然界も季節の移り変わりとともに変化が見られます。
しかし、この時期山に入って見られる山野草はそう多くありません。
もちろん、目を凝らして見たり、草むらに入って行くと、たくさんの名もない花々が咲いています。
10月13日の火曜日が休みでしたのでそんな里の山を散策しました。
実は、前の日、つまり「体育の日」に会社のレクレーション大会ソフトボールに参加し、今日はヒザがガクガクです。
週1ペースで結構な距離を歩いていましたので、体力には自信を持っていたつもりだったのですが、使う筋肉が違うのでしょうか、それともまだまだ、運動量が足りないのでしょうか。
腕や足にチョット力を入れた反動がモロに出てしまいました。
そんな訳で、あまり無理せずに行ける宮崎市青島にほど近いコースを選びました。
加江田から林道を上り、有名な好隣梅の駐車場に車を停めて、南側の内海方面まで上り、引き返して折生迫に下り、青島、子供の国を通って、車の停めてある好隣梅の駐車場に戻る。
時間にして3時間、距離にして約12kmのコースです。
途中、かなりの勾配があり、昨日の疲れと筋肉の痛みでかなり体力を消耗しました。
この林道は、確か昨年の10月も歩いています。
春や初夏と違って、山に活気がありません。
元気なのは、セイタカアワダチソウくらいのものでしょうか。
今年はことのほか黄色が濃く感じられます。
まだ、花が付き始めたばかりですので、そんなに目立ちませんが、一週間から10日も後に訪れると、恐らく道路の半分ほどまで黄色い花で埋め尽くされていることと思います。
それだけ繁殖力が旺盛な花です。
日本に入って来て何十年も経過している外来種ですが、これからしばらくは辺り一面黄色のジュウタンと言う光景をあちこちで見ることでしょう。

薬 師 草

薬 師 草

カンナ

ピラカンサ

セイタカアワダチソウ

名前不明

セイタカアワダチソウ

ピラカンサ
 黄色の花と言えば、この時期、日南海岸の道路沿いにコバノセンナの濃い黄色の鮮やかな花を見ることができます。
この花も、ハイビスカスやブーゲンビレアと同様、日南海岸を花で埋めようと新婚旅行ブームの時代に宮崎交通が中心となり植栽されました。
今でも「道の駅フェニックス」や「イルカ岬」周辺で多く見かけますが、手入れが今ひとつのせいか、以前と比べると花の量は格段に減っています。
ただ、セイタカアワダチソウと比べると、黄色の鮮やかさが全然違いますが・・・・。

セイタカアワダチソウ

キバナノホトトギス

カンナ

カンナ

キバナノホトトギス

キバナノホトトギス

キバナノホトトギス

キバナノホトトギス
 ところで今日は、上に紹介しています「キバナのホトトギス」と言う花の写真撮りも目的の一つでした。
名前からして、鳥のようですが、レッキとしたユリ科の花です。多年草で花の直径は3cm位でしょうか。
よく観ると花の表面にたくさんのソバカス(斑点)があるように見えます。
青島の先の折生迫から上る大谷林道の頂上近く、麓から歩いて40分くらいの左側の土手に群生しています。何故か上って行く左側しか見当たりません。
何故か山の上部で合流している林道には見当たりません。
不思議ですね。今
が見頃の花で、県内の各地の山の土手に自生しています。

危険が危ない?

危険が危ない?

危険が危ない?

ピラカンサ
 ところで、今の時期、山は危険でもあります。
上って行くと、雑草が所狭しと生い茂っています。
中には道路の半分近くまで張り出しています。
キレイな花があっても、その場所までたどり着くことができません。
そんな草むらには、注意が必要です。
看板にもありますが、マムシやハチ、特に、この時期のスズメバチは、活発に動き回っています。
しかも、獰猛(どうもう)です。
よく小学生や大人の集団が、大群に襲われたと言うニュースを耳にします。
巣が最も発達する9月上旬頃から神経が過敏になり、非常に攻撃的になると聞いています。
この時期に次々とオスバチが生まれ、新女王バチと交尾をするため、すべてのハチが攻撃的になるのです。
スズメバチは、守衛意識が強く、巣に危害が与えられると感じたら、集団で襲ってきます。
とくに、黒いものに反応するので、髪の毛や目などが襲われやすく、その他に手で払いのけようとする急な横の動き動作などや、においのきついもの(香水、濃い化粧、ジュースなど)に敏感です。
大きな音や振動にも過敏に反応し、襲ってきます。
セイタカアワダチソウにも何匹もハチが蜜を吸っていました。
あのブ~ンブ~ンと言う音を聞いただけで身震いがします。
そして、ムカデ。こんな大きなムカデは久しぶりに見ました。
昔は家の中でもよく見かけたものです。
良く親からムカデはオスメスで行動するから注意しろと言われたものです。
実際、1匹見かけると、もう1匹見かけたことが何度もありました。
咬まれたら大変です。
痺(しびれ)れを伴う激痛が走り局部は赤く腫れあがりますが、早目に処置すれば命まで脅かされることはないはずです。
サルの島幸島の南の国道218号線
 2009年10月4日(日)。
どうもこのところ、身体がだるく精神的にも重い感じで足が前に進みません。
夏の疲れでしょうか。
今日はそんなコンディションですので、なかなか自宅を出ることが出来ません。
とりあえず、昼を過ぎてから南へ下ることにしました。
2週前は日南海岸の富土から林道に入りました。
今回は珍しく鵜戸神宮へ立ち寄ることにしました。
と言うのは、これまで何べんも訪ねている割には適当な写真がほとんどなかったからです。
駐車場から山門を立て続けに撮り、丸橋の上から神宮前の運玉入れに興じている観光客を撮り、後は神宮入口から内側を収めました。ハイこれだけです。
これだけでどこの何神社かわかるはずです。
ところで昨年の豪雨、土砂崩れで通行止めだった山門付近は、ちゃんと工事が終了していました。
しかし、どうもセメントが露になっていて上や横からのぞくと、神社には似つかわしくない気がします。
ま、しばらく様子をみましょう。
それにしても、観光バスと言うよりマイクロバスが目立ちますね。
最近は、20名程度の少人数の旅行をよく見かけます。
規制緩和で観光業者が増え、マイクロバス会社は、バスガイドの経験がある人材を登録していていつでも対応出来るようにしてあります。
ちなみに、鵜戸神宮ですと、マイクロバスの中型までは、海岸線を通って参道へ通じる駐車場まで入って来れますが、大型バスですと、旧鵜戸トンネル横から入った駐車場にしか停められず、お客さんは急な階段になっている所を一山越えて参道へ下りてくることになり、足の悪い人は少々大変です。
最盛期は、こちらの道が正規の参道で道路脇にはたくさんの土産物店が並んでいたものですが、今は昔、多くは店を閉じ、一般車の駐車場沿いに数軒の店がある程度。
ここも青島とあまり変わらない、昔の盛期の面影がないのが残念です。



鵜戸神宮山門

鵜戸神宮全景

ハイビスカスの花

南郷道の駅展望台から北を眺望
 現在の宮崎県の観光地で人気があるのは、高千穂峡や天岩戸神社など県北の高千穂一帯です。
特に天岩戸神社はスピルチュアルなものが人気の現在、「霊的な、精神的な、神聖な」場所として「霊的なこと(もの)」が強いスピリチュアリティに興味を持つ多くの人々が訪れています。
昨日もテレビで高千穂を題材にしたサスペンスドラマをやっていました。
他にどこかがあるのかなあ?
おっととと・・・・・。
宮崎県庁にも多くの観光客が訪れ、東国原知事を目当てに「会えればラッキー」と、大型バスが未だにひっきりなしに訪れています。
さすがに、知事就任の1年目からすると、ごった返すと言うほどではありませんが・・・。
その半面、今日車で通った青島をはじめ日南海岸の各スポットは、その昔の新婚ブームと比べると、見るも無残と言った趣きです。
何故でしょうか。
観光立県として宮崎県を引っ張る強力なリーダーシップを持った人物が出てこなかったからでしょうか。
「大地に絵を描く」と言って、日南海岸を一大観光地に仕立て上げた岩切章太郎翁以後、これはと言う人が出てきていません。
たとえ一人ではなくても、県内の商店街、観光スポットなど見て歩いても独自性が見当たりませんし、行けば何があるのだろうかと言うワクワクするようなイベントやスポットが、見当たりません。
そうかと思えば、海がすぐそばに控えているのに世界一の屋内ドームの水泳施設を造る考えられないことをした人もいます。
そのドームも3年前に閉鎖され未だ使い道を見出すことなく、白亜の建物全体をアカサビが覆うとしています。

鵜戸神宮

鵜戸神宮

鵜戸神宮

鵜戸神宮

鵜戸神宮

修復後鵜戸神宮

鵜戸神宮

鵜戸神宮入口

鵜戸神宮

運玉溜まり
  今日は日南海岸を下って、日南市を過ぎ、串間市の市木沖に浮かぶ幸島(こうじま)の先に車を停めて、そこからより南の都井岬方面に向かって歩きました。
幸島には、イモを海水で洗って食べる文化ザルが野性の状態で生息しています。
今回は時間がないのでパスです。
この道も昔は新婚客で賑わった道路で、南国情緒を醸し出すために、海側には等間隔でハイビスカスが植栽されています。
海と花を眺めながら観光客や新婚客は、都井岬にある都井岬観光ホテルや周辺のホテルや民宿へ吸い込まれていきました。
が、これも今は昔、多くのホテルには錠がかかり、訪れる人々は、都井の岬馬を写真に収め、ユータンーンして往き来た同じ道を引き返します。
今でも真っ赤なハイビスカスは、南国的な雰囲気を与えてくれますが、写真でお分かりのように、この道路は

断崖絶壁

断崖絶壁

断崖絶壁

断崖絶壁

道はまあまあ
大雨に非常にもろさを露呈します。
この夏までは2トン以上の車は通行することも出来ませんでした。
海面から約100mのところの山の中腹に道が通っています。
ここも昔は観光バスがやっと交差するくらいひっきりなしに通ったものです。
先ほど紹介しましたハイビスカスですが、確かにたくさんの花を付け、それなりにあざやかなのですが、その周りを見ますと、雑草と雑木林に覆われています。
折角の眺望も台無しの状態です。

帰りは仲秋の名月

帰りは仲秋の名月

帰りは仲秋の名月
訪れるのは、この先にある有名なサーフィンポイント・恋ケ浦を目指す若者だけでは、まことにもったいない気がします。
久しぶりにこの地を訪れ、しかも歩くのは始めて、道路上から見える大海原はどこまでも碧く鮮やかな眺めは観光資源として一級品と思えますが、現在は、青島の旧橘国際観光ホテルの解体さえ手がつかない状態。
とても宮崎の南の端までは手が回らないでしょう。

ハイビスカス

ハイビスカス

ハイビスカス

ハイビスカス

ハイビスカス

ハイビスカス

ハイビスカス

ハイビスカス

ブーゲンビレア

ハイビスカス

ハマユウ

南郷の海

幸 島

幸 島

幸島と鳥島

国道218号線

サンゴシドウ

サンゴシドウ

鳥 島

幸 島

番外編 熊本人吉地方へのたび
 シルバーウィークの9月22日、23日に熊本県人吉市を訪ねました。
毎年行なっている中学3年次の同窓会です。
男女13名で今年は人吉でしたが、これまで大分県の湯布院、熊本黒川温泉、大阪・京都、熱海・湯河原、そして昨年は神戸など、該当地区に住んでいる同窓生が幹事になって、旅のスケジュールを組み立てます。
毎年、顔ぶれはほとんど変わりません。
大変仲が良かったクラスで神奈川や神戸など遠くから、この旅行を楽しみに同窓生が馳せ参じ、数十年前の中学生に戻り、時空を超えて楽しみます。
時機は初夏か秋と、行く所によって幹事が調整します。
この会を始めて15年。

川下り船

ホテル真下

ホテル真下

川下り船

尺アユの宝庫
中学校は8クラスまでありましたが、未だにこうして毎年、宿泊がけの同窓会を続けているのは私たちのクラスだけで、他のクラスの同窓生から羨まれたり、「参加させて?」と言うリクエストもあります。
このサイトは宮崎を紹介しているプライベートサイトですので、今年の同窓会については、少しだけ触れます。残念ながら、デジカメは持っていきましたが、球磨川下りくらいしか印象に残るものがないと思っていましたのでほとんど撮っていません。
ただ、他の旧友が何台も持ってきていて、送ってくれますので別に不便はありませんが・・・。
人吉と言えば、前述のように球磨川が有名です。
その支流も無数にあり九州山地から潤沢な水が球磨川に注ぎ込んでいます。
そんな豊富な水資源を利用して米の生産が盛んで、ミソ・ショウユから豊富な水とコメを材料にした球磨焼酎は全国的に有名で造り酒屋も数多く存在しています。
私たちも、そんな造り酒屋の製造過程を見学、試飲も十分堪能しました。
人吉市内のど真ん中には、球磨川が流れていて球磨川下りの観光船がノンビリと秋の人吉路を満喫しています。
翌日、私たちもこの球磨川下りの観光船に乗りましたが、今年は台風の襲来や大雨がなく、球磨の流れは、至って緩やかでスリルを味わうような急流に出くわすことなく、ゆったりと球磨の秋の気配を堪能しました。
そんな球磨川の中心部に、立派な石垣が続いている場所があります。
丁度、宿泊したホテルの向かい側辺りですが、これは鎌倉時代に築城された人吉城の名残とのことでした。
後ほど城址を訪ねましたが、敷地は熊本城をしのぐほどのスケールを誇っています。
すぐ隣りが城址資料館になっていましたが、人吉のことを余りも知らない自分に恥ずかしさを覚えました。
泊まったホテルは
「清流山水花 あゆの里と言い、人吉では最高級のホテルです。
5年前に改築を済ませたばかりとのことで、入口から竹林が目を癒し、ロビー横の足風呂が疲れをほぐしてくれます。

眺望抜群の岩風呂「あゆの里」

眼下を流れる球磨川が見れる大浴場「あゆの里」

3階、5階には展望風呂があり、部屋の真下には球磨川が流れる最高の場所に建っています。
特に夕陽の美しさが旅情を掻き立てます。
宴席の料理も球磨川で獲れる名物のアユをメインに山菜料理から海の幸までフルコース。
お腹がパンクしそうです。
実は人吉には10年近く前、一泊2日で訪ねたことがありますが、正直言ってあの当時大変イメージがよろしくないと記憶しておりました。
ところが、この10年間に、温泉をはじめあらゆる観光施設が整備され、夜の街に繰り出しても安心して楽しめるクリーンな街に変貌を遂げていました。
これには、ほんとビックリしました。
マチ造りは地元の人々がどれだけ動くかにかかっています。
少しでも良くして、市外から観光客に来てもらおうとするなら、それなりの行動を取るのは自明の理でしょう。
久しぶりの日南富土は、暑かった
 

秋と言えばヒガンバナ

珍しい黄色のヒガンバナ

インドハマユウ?

延々と続くヒガンバナの小道
20099月19日(土)、世間的には、今日は、秋のシルバーウィーク5連続休暇のスタートの日です。
5月にゴールデンウィークがあるなら秋にも連休をと、新設されました。
今までの敬老の日に、秋分の日と土・日、振り替え休日などを組み合わせて設けられました。
ただ、一部に「シルバーウィーク」は、いかにも名前の印象が良くないのでは、と言う意見もあったようですが、『ゴールド』の次は『シルバー』と言うことで決まったと聞いています。
と言うことは、冬場に『ブロンズウィーク』でも新設されるのでしょうか。
天皇誕生日やクリスマスなどをうまく繋げれば走難しいことではありません。
いずれ近いうちに、できることでしょう。
それはさておき、この春から土・日・祝日の高速道路を利用する場合、
ETC搭載車は1,000円と言うこともあり、混雑が予想されています。
事実、今日の日南海岸には県外ナンバー車が目立ち、いつもの休日より車の量が多く感じられました。
ところで、ここのところ、秋らしい良い天気が続いています。
しかしながら、日本のはるか東方海上には台風
14号があって北東に進んでいます。少しずつ衰えているとは言え、海上は先日の台風通過時よりかなり大きな波が海岸に打ち寄せています。
それでも元気な若者は海に入りサーフィンを楽しんでいました。
ただ、外洋はやはり無理、海水浴場や入り江がフィールドですが、それでも結構大きなウネリを伴った波が岸辺に打ち上げています。
念のため大浦漁港まで足を延ばしましたが、さすがに港内を含め人っ子ひとりいませんでした。

ヒガンバナの道

ヒガンバナの道

ヒガンバナの道

ヒガンバナの道

ヒガンバナの道

ヒガンバナ

ヒガンバナ

ヒガンバナ

ヒガンバナ

ヒガンバナ
今日はそんな海岸線を避けて、久しぶりに日南市富土(ふと)地区から国道を山手に折れて、林道を散策することにしました。
このコースは、良く利用していますが、前回の記録を見ると昨年の
1115日に歩いています。
時間の経つのは、ほんとうに速いものだと感心します。
昨年歩いた時は、
9月に九州の南海上を西進した台風の影響をモロに受け、太平洋から吹き付ける湿った空気が山地にぶち当たり、この一帯に記録的な雨を降らせ、至る所で土砂崩れや土石流が発生していました。
今回はそんな昨年の被害の跡を見ながら、麓から富土の林道を上っていきました。何度も通っているこのコースですが、この時期に歩くのは今回が初めてで、少し暑さを感じながらの歩行となりました。
歩いていてまず、気づいたのはヒガンバナの多さです。
国道を折れてしばらくすると真っ赤な花や時に白色、黄色のヒガンバナが道の両脇に延々と咲いていました。
人工的に植えるには相当な距離です。
何しろ国道から林道に入ってすぐの所から、今回引き返した、北郷町と広野林道の分岐点まで、時には固まりで、時には
1本ポツンと、あるいは細々と、咲き乱れているのです。
まさかこの林道でこんなにたくさんのヒガンバナを目にするとは想像もしませんでした。
ところでヒガンバナと言えば、宮崎県西部の高原町の皇子原公園でしょうか。
花の盛期に行ったことはありませんが、公園全体がまるで赤いジュータンのような感じです。
こちらは、地元や公園関係者の方々が3~40年かけて、丹念に植えていったと聞いています。その数約300万本。今が一番の盛りですが、果たして時間が取れるかどうか。

昨年崩れた所

夏の雰囲気

夏の雰囲気

分岐点

麓から8.5km
話しがそれましたが、昨年の9月、台風の影響に伴う集注豪雨で破壊尽くされた林道ですが、丁度今は草木が生い茂っていて土砂が下った跡は草木で覆われていて、面影はほとんど見当たりませんでした。
しかしながら、林道と平行して流れる富土川の対岸の上方から崩れた大規模の現場は、さすがに草木が生い茂ってはいますが、巨岩や倒れた木々が生々しく、昨年の被害の爪あとを残していました。
所どこに点在する富土・池内の集落ですが、どこの家もこざっぱりしていて、花々が植えてあります。
土曜日と言うことでかなりの地元の人に会いましたが、やはり高齢の人の姿が目立ちます。
確実に高齢化と過疎が進んでいる印象を受けました。
今日は気温が
32度まで上がっていました。
さすがに、こんな暑い時にこのコースはきついですね。
ヒザを傷める
2年前までは、下はアスファルトで舗装されていて、急な上り坂も見当たらず、結構、速いペースで歩を進めていたと記憶していますが、今回は暑さの中、いままで感じなかった道が、こんなに勾配があったのかと、今までと違う感覚を覚えました。
気温、久しぶりのコース、傷めた右ヒザなど要因は、いろいろありますが、一番は歩く量の不足による運動不足でしょうか。
先週は、宮崎県央の高鍋地区から川南漁港まで海岸線を歩きましたが、距離にして往復
10km程度。

清楚な花ですが名前が?インドハマユウ?

清楚な花ですが名前が?インドハマユウ?

清楚な花ですが名前が?インドハマユウ?

清楚な花ですが名前が?インドハマユウ?
今日は麓から分岐点まで片道8.5kmしかありません。
これから気候的に一番良い季節を迎えます。
もっと自宅を出る時間を早くして、このサイトで宣言しているように、宮崎県のあまり知られていない名所旧跡を周り、紹介していきたいと思います。
どうも最近のサイト紹介は、近場の何度も通ったコースばかりで自分自身手抜きしているように感じます。
まだ、歩いていない延岡市の北部の北川、北浦、北方の
3北地区や美郷町の神門地区、北郷地区などや高千穂の岩戸地区など、早目に家を出ないと、満足する距離を歩くことが出来ません。
宮崎県には、まだまだ隠れた名所旧跡が山ほどあるはずです。
趣味と健康を兼ねてもう少しペースを上げて、見て周り紹介していこうと思います。
始めての地 高鍋から川南海岸線

大年神社とJR日豊線

大年神社のまだ新しい社殿

ユッカラン

高鍋町の美しい海岸線
 2009年9月11日、このところ暑い日が続いたり、さわやかな風の日が続いたりと、天気が一定しません。
しかし、9月の中旬に入ると朝夕は、さすが涼しく、気持ち良い風が吹いてきます。
今日は、こんどの日曜日の代休として休みを取りました。
ところが、天気はどこまでも青空が広がっていて晴れの良い天気ですが、焼け付くような暑さです。
2~3日前、宮崎県中央部の西都市から山地へ入ること45km、九州山地の真ん中に位置する西米良村・村所では、気温が36度9分を記録しました。
これは、9月としては過去最高の気温だそうです。
彼の地は真冬には氷点下10度を記録するまさに九州山地の背骨に位置するところにある過疎の村です。
さて、今日は、朝方は休みの割りには結構早く、起きましたんので行こうと思えばどこへでも行けるだけの時間はありました。
しかし、先ほども書きましたが、朝から焼け付くような暑さです。
外に出たらすぐにでも熱射病にでも罹りそうな気温です。
部屋に居てもクーラーなしでは汗が垂れてくる、そんな強烈な太陽が照り付けています。
ですから、私自身としては情けなくも、折角の午前の時間を棒に振ってしまいました。
と言っても、NHKBSテレビでメジャーリーグ、シアトルのイチローの試合を観ていました。
米国で2000本安打は比較的スンナリと達成しましたが、9年連続の200本安打は、産みの苦しみを味わっているようで、この日も1、2打席は相手投手の切れの良いカーブにてこずり2連続三振を喫してしまいました。
「イチ」ファンとしては、あと4本が非常に遠くに感じます。
と言うことで、やっと重い腰を上げて北へ向かいました。
ただし、今日はこんな酷暑のような天気です。
特にどこを歩こうか、とかあそこに行きたいなど全く決めていません。
しかも、所要が2つ3つあり、時間はドンドン過ぎ去っていきます。
照り付ける太陽に当ると、頭がクラクラしそうです。
そんな訳で、今日は宮崎県の中央部に近い高鍋町を散策することにしました。
この町は平安時代後期に高鍋の土豪だった土持氏が、財部城(江戸時代に高鍋城と改名)の名で居城として築城したとされています。
その後、廃藩置県まで3万石の城下町として秋月家が治めていました。
その城は山城に近い平城ですが、現在は、天守閣などは残っていません。
高鍋の町の西部の小高い丘にあった城跡を中心に現在は、一帯が舞鶴公園として整備されています。
で、ここは何度か訪れています。
今日は町の中心部を流れる小丸川の左岸から海岸部に沿って北上することにしました。
実はこの海岸部はほとんど来たことがありません。
宮崎県の鉄道の動脈JR日豊線は、この高鍋から北にかけては海岸部を突っ切っています。
確かに東側の海岸と平行して、日豊線が通っていますが、日豊線の西側は100mほどの小高い山が、これも鉄道と平行して北へ延びています。

 大年神社

大年神社

大年神社鳥居

高鍋ー川南線

ユッカラン

ユッカラン

ユッカラン

ユッカラン

南の高鍋方角

北の川南方角
しかし、北隣りの町・川南まで山を貫く道路は1本もありません。
航空写真から見ると、鉄道の西側の山肌一帯は雑木で覆われて、人が入って行けるような地形ではありませんが、その雑木の西側は広大な台地になっていて、茶や野菜などの畑が碁盤の目のように広がっています。反対に鉄道の東側は日向灘が、どこまでも碧く、なだらかな海岸線が南北へ連なっています。
ユッカ (学名 Yucca) はリュウゼツラン科ユッカ属の植物の総称。英語ではヤッカ (yucca)。
40から50の種があり、多年草、低木または高木である。
丈夫で剣状の形をした葉のロゼットと、白または白っぽい花の大きな塊で良く知られる。
北アメリカ、中央アメリカおよび西インド諸島の暑く乾燥した地域が原産である。
ユッカは非常に特殊な受粉システムを持っている。受粉はユッカガによっておこなわれる。ユッカはある植物の雄しべから別のものの柱頭に花粉を運び、同時に花の中に産卵する。
その後幼虫は成熟途中の種子を食べるが、それはほんの一部である。
ユッカは観賞用として広く育てられている。
また、多くのユッカは果実、種、花、花の茎まれに根が食用になる。

今日は、そんな鉄道と平行に走る町道の空いたスペースに車を置いて北上することにしました。
この辺りは、高鍋の町の中心部からはかなり離れていて、周辺はのどかな農家のたたずまいです。
しばらく歩いていますと、線路脇に神社が見えてきました。「大年神社」と言う鳥居が見えます
そんなに大きくはありませんが、説明板によると、高鍋の西隣の町・木城町にある比木神社と関係のある由緒ある神社のようですが、説明用の案内板記述がいまひとつで私の頭脳では理解するに至りませんでした。
とりあえず写真だけは撮りましたが・・。
神社まで鉄道と平行して立派な道が通っていましたが、その道も神社まで・・・・。
それから先は例の山々が連なっています。
仕方なく引き返し、踏み切りを渡って鉄道の東側に沿って歩を進めました。
すぐ東は太平洋ですので、波の砕ける音が防風林越に聞こえてきます。
波の音、時々通過するJRの電車の音が心地よく響きます。
約40分ほど歩いたでしょうか、それまで舗装されていた道がいきなり砂利道と言うか、砂の道に変わりました。先ほども書きましたが、今日はカンカン照りです。
砂利道になった途端、足元の温度が変わったような気がしました。
砂を触ってみると、まさにたぎっています。
額からは汗が玉のように零れ落ちます。
日差しを避けるような大木や山、建物はありません。
そうして前へ進んでいると、突然立ち入り禁止の立て札とその向こうを小川が海に向かって注いでいます。
もはや道はここまでか。
と、思ってその小川を見ると何やら大きなものが動いています。

 こんな所に!?

孤独なカモ

孤独なカモ

孤独なカモ

孤独なカモ
よーく見ますとカモです。なんでこんな小さな小川に、しかも一羽だけ。
近づくと、ガーガー鳴くだけで、飛び立ったり逃げる気配がありません。
と言うより飛べないようです。
結局、なんでこんな小川にカモがいるのか分からずじまいでした。
この小川から北の方角を見ますと、隣町の川南漁港が見えています。
「立ち入り禁止の立て札」から先は道がありませんが、すぐ東側は海岸線です。

砂利の海岸線

砂利の海岸線

砂利の海岸線

砂利の海岸線

砂利の海岸線

川南新港

川南漁港

クラゲ?
しかも、この一帯は、一般的な砂浜ではなく、砂利浜とでも言いましょうか、レンガほどの石から2~3cmくらいの石で覆われています。
砂を歩くよりは随分マシですが、ヒザには堪えます。
川南の漁港は前方に大きく見えていますのでそんなに遠くはありません。
9月中旬としては確かに暑い金曜日の午後です。
しかも、帰りも同じ道なき道を通らないと車まで辿りつけません。
こんな日に無理は禁物です。
とりあえず今日は川南の漁港まで行って引き返すことにしました。

久しぶりの海 鵜戸から日南へ

鵜戸神宮手前鵜戸灯台

日南海岸大浦漁港

動!!波もあるが風も・・

静!!情熱色のハイビスカス
2009年9月6日、早いもので9月も1週間近く経ちました。
例年ですと、大型台風が南の海上に発生し、九州を伺う動きをするころですが、今のところ小型の台風がいつもの年より東の海上で発生し、進行方向も本州の半分から以東の関東や東北の陸地をかすめる進路を取っています。
これもエルニーニョ現象の影響でしょうか。
今日もまさにそんな日です。
九州の遥か南、沖縄のはるか東の海上に台風12号があって、北上していますが、この台風も先日の台風と同じく進行方向は本州の東よりの海上からさらに東へと言う予報が出ています。
今日は、そんな台風のことや、7月から全く海と正反対の方向に単身赴任で行っていましたので、ほんと久しぶりに宮崎市の南に連なる日南海岸の空気を吸いに行きました。
今年は、「夏の海」を観に行く機会が全くなく、海を観に行くだけではなくもちろん「with walking」です。
既に9月に入り学校は2学期が始まりました。
海水浴場も8月31日で大方はシーズンオフになっていますが、今日はどこの海水浴場も多くの若者で賑わっていました。
「な~んでか?」
「それはね・・サーフィンやボディボードに興じる若者が普段は波静かな海水浴場に集まったからです。」

大浦漁港

大浦漁港

大浦漁港

大浦漁港

大浦漁港

ハイビスカス

ハイビスカス

ハイビスカス

ハイビスカス

南郷大島
海上は、昨日から台風12号のウネリが入ってきていて、波浪注意報が発令されています。
波の高さも4mの予報が出ています。
普通は遊泳禁止、釣りのポイントも波をかぶって、外洋での釣り人は見当たりません。
折角の日曜日、家族連れの釣り人は港や入り江の奥深くで釣り糸を垂れていました。
そんな中で、サーフィンやボディボードのために海に来た若者は、仕方なく海水浴場や入り江でサーフィンなどに興じていました。
しかし、海水浴場と言ってもほとんどは外洋に面しています。
しかも、波浪注意報が発令されていて波も結構高い状態です。
今年も、サーファーが流される海難事故が発生しています。
ところで、今日は2年ぶりでしょうか。
鵜戸神宮の入口に車を停めて、そこから海岸線を南に下りました。
昨日までは、大気の状態が不安定で時折、大粒の雨が降ったりしていましたが、今日は朝から快晴です。
気温も30度を超えるか、超えないかくらいでそんなに暑さを感じません。
遠くに、日南市南郷町の東に浮かぶ大島がくっきり見えています。
計画では、日南市の風田の海岸まで行って引き返す予定です。
その間、ズーッと日南海岸と平行して歩くことになります。
今日、このコースを選んだのは、途中に大浦漁港と言うごく小さな漁港があってそこの沖一帯がサーフィンのメッカになっているからです。
もちろん、外洋に面していますので波は高く半端ではないはず。
と言うより他のところが静かでも、この一帯は地形の関係でどこよりも高い波が発生する、いわば上級者向けのスポットなのです。

大浦漁港

大浦漁港外洋

大浦漁港外洋

大浦漁港外洋

大浦漁港外洋

大浦漁港外洋

大浦漁港外洋

大浦漁港外洋

大浦漁港外洋

大浦漁港外洋

大浦漁港外洋

大浦漁港外洋

大浦漁港外洋

大浦漁港外洋

大浦漁港外洋
車を置いたところから約1時間、その大浦漁港に到着しました。
案の定、多くのサーファーが大波と格闘しています。
港のすぐ脇でも10数名のサーファーが波と興じています。
やはり、今日は、台風の影響でしょう。
普段は、ほとんど波のないこんな場所でも大波が打ち寄せています。
「大丈夫だろうか?」宮崎は、サーフィンスポットが九州で一番、良質の波が押し寄せることでも一番。
毎週、福岡や熊本から、あるいは遠く大阪、東京からも訪れるサーファーには格好のポイントが宮崎県の北から南まで至るところに点在しています。
以前も紹介しましたが、今回もそんなスポットのうち、大浦を紹介するつもりで、とりあえず往きは、大浦漁港をパスして一目散で風田浜まで向かい、帰りに写真を撮るつもりです。
コースはこのところ体調不良が続いていますので、あまり無理をしない程度に、片道8km、往復16kmで時間にして3時間ちょっとです。
日南市風田浜まで行き、ユーターンして車を置いている鵜戸神宮の入口を目指します。
丁度、大潮の満潮の時間で台風12号の影響もあり、波が防波堤の上部まで這い上がっています。
帰りは右側が海、左側に山が連なっています。
風田浜をユーターンして約1時間ほどで、大浦漁港です。
手前まで大波が打ち寄せています。
その沖の外洋は、ビルの3階ほどもあるウネリが時折押し寄せています。
やはり、ここで波に乗るサーファーは、腕が違うみたいです。
少しばかりの波には見向きもせず、ひたすら大波を待っています。
ハワイのジョーズには遠く及びませんが、台風が南海上に発生すると、いち早くウネリが到達してきます。
今日は、確かに波はありましたが、風が強くあまり良いコンディションではなさそうです。
ひとしきり彼らの写真を撮って、さらに北上、車にむかいました。

小吹毛井海岸

小吹毛井海岸

小吹毛井海岸

???

悲しい看板
そして、鵜戸の手前にある小吹毛井と言う海岸に面した入り江の集落まで戻ってきました。
しかし、なんかおかしいのです。
今日のような波の高い日は、ここの海岸にはたくさんのサーファーが押しかけるはずなのに、海には人っ子ひとりいません。
「どうしたんだろう?」と、不思議がって歩を進めていると、「立ち入り禁止」「駐車禁止」の看板が至る所に立っていました。
つい何ケ月前は考えられなかった光景です。
恐らく、不心得なサーファーが勝手に車を停めたり、ゴミを散らかして地元の人々の怒りを買ったのでしょう。折角の綺麗な自然を汚す行為は、宮崎のイメージを損ないます。
いまだに、こんな看板が架かること自体恥ずかしいことです。
ほとんどの釣り人、サーファー、ボディーボーダーなど、みんな綺麗な海を願っているはず。
自然豊かな宮崎の海を守り、いつまでも綺麗な状態で訪れた人々を気持ちよく迎えたいものです。

宮崎市北部 「垂水公園」周辺散策
 今日は、8月30日。ただ単に8月が終わる。夏休みが終わると言うだけではありません。
今年は大きなイベントが控えています。
第45回衆議院議員選挙の投票日です。
公示から選挙までいつもより相当早く分かっていて、しかも、盆を挟んだ国政選挙は記憶にありません。
と言うよりこの8月に総選挙があること自体が異例です。
結局、麻生総理が解散のタイミンングを失い、政権にしがみつこうとしたことにより時機を失してしまった気がします。
我宮崎では、名物知事が、当時の古賀誠自民党選挙対策委員長の国政出馬の要請を受けて、
①総裁選挙に出られるようにすること、
②全国知事会の地方分権に関する提言を自民党のマニフェストに一言一句入れるのを受け入れることを条件に、国政選挙に出ると荒唐無稽な要求を突き付け宮崎県民はもとより日本の国民を唖然とさせました。
格好のネタとばかりに、マスコミも連日この問題を取り上げていましたが、県民の大多数が異を唱え、任期途中で知事の座を投げ出すことなどまかりならぬと言う世論に屈し任期を全うすると言う表明をせざるを得ませんでした。
そんな中での総選挙です。
全国の新聞や通信社、テレビ局などが、選挙前予測を1週ごとに出していましたが、ほとんどすべて自民党の大敗を予測していました。
はじめこそ、こんなもんだろうと、自民党の今までの失政と、4年間も国民に信を問わず、持って行きようがなかった怒りと鬱憤(うっぷん)が有権者に溜まっているので、このくらいの議席も当然かと思っていました。ところが、選挙直前になっても数字に大きな変化は見られません。
4年前は小泉総理が郵政民営化を前面に打ち出し、大旋風を巻き起こし300と言う史上稀に見る大勝利を自民党にもたらしましたが、今回は、全くの逆。
強風が民主党に味方し、自公の大臣経験の大物が次々と落選、一方の民主党は、出口調査を基に開票直後から当選確実のオンパレード。
まるで映画を観ているような感覚でした。
ところで、連立が予想される社民、国民新党を合わせると300を遥かに超える議席を得た、万年野党の民主党が政権を握ることになります。
野党の時は、国民受けする政策をいくらでも発表することが出来ましたが、今後はそうは行きません。
今回の選挙で「1度、やらせてみようじゃないか」と、民主党に投票した人も多いはず。
民主党に、始めての政権だからと言う言い訳は通用しません。
はじめから、今まで主張してきた政策をマニフェストの優先順に従い粛々と実行して行かなければなりません。

圧勝後、インタビューを受ける強ばった表情の鳩山代表
国民は期待と不安の中にいるはずです。
公約がうまく機能していけば、有権者に支持されるでしょう。
しかし、失敗すると叱責が日本中から永田町に飛んできます。
開票が進む中、圧勝が決まった中での鳩山代表のテレビインタビューの表情はこわばっていました。
これから、悲願だった政権は奪取しましたが、その責任をヒシヒシと感じているからでしょう。
アメリカではひと足早く、バラク・オバマ大統領が誕生して「チェンジ、イエス・ウイ・キャン」を旗印に政権の舵取りに努めています。
彼の国では、マスコミも国民も就任後100日は、評価を控える習慣があります。
今年の1月に就任、既に半年以上が経過しましたが、今のところ高い支持を保っています。
民主党が政権を担うことが決まってまだ1日。
これからいろいろな動きが出てくるでしょう。
とりあえずは、アメリカに倣ってしばらくはお手並み拝見と言うことで、日本がどう変わっていくのかじっくり観察していきたいと思います。
と言う訳で先週から再開しました、ロングウォークですが、今日は総選挙の行方が気になって、あまり遠くへ行くことが出来ませんでした。
で、宮崎市の北部・佐土原の那珂に通じる道沿いから左へ。
小高い山を上り詰めると、桜波木(もちろん今は咲いてはいませんが、)が見えてきます。
この先に垂水公園と言う宮崎市民の憩いの公園があります。

垂水公園

垂水公園

垂水公園桜並木

垂水公園
この公園周辺を散策しました。

垂水公園の由来

垂水公園桜並木

散歩がてらゴミ拾い

散歩がてらゴミ拾い

昼間から人に会ったり、選挙があったりで、歩き始めたのが3時過ぎ。
あまり無理しないつもりで垂水公園の桜並木から北へ通じる小道に入って行きました。
実は、このコースは何度か通っていますが、いずれもサクラのシーズンか冬場です。
約20分も歩けば、大きな道に出るはずです。
ところが、夏の真っ只中に歩くのは今日が始めてです。
最初こそアスファルトの平坦な道が続いていましたが、途中から雑草でどうしようもありません。
嫌いなヘビと出遭いませんようと祈りながら、冬場の倍の時間かかって、その難所を無事通過、エコセンターへ通じる大きな道へ出ることが出来ました。
道沿いには、黄色や紫色のランタナが咲いて道路に彩りを添えていますが、手入れが今ひとつで、道の両脇は雑草で覆われています。
しばらく、歩き宮崎市西部の瓜生野地区へ通じる道路と交差しましたので、そちらの方へ左折しました。
いつもですと、まっすぐ歩き、エコセンターを右に見てグルリと左周りで一周すると、ほぼ5時間のコースですが、今日はそんな時間がありません。
瓜生野に向かって歩いていると、前方で白い袋に何かたくさん入れている60代のご婦人に出会いました。「こんにちは、何をしているのですか」・・・・、「ゴミが多いしてよ、きさねぇから、散歩しなが拾いよっとよ」・・。
「そら大変ですね。この袋が拾ったゴミですか」・・・・・「そうよ、まだ20分位しかあるいてないけんど、日曜日は多いわ」
感心なご婦人です。
散歩がてら、毎日、自宅から往復3㎞の道の両脇のゴミを拾っているのですから。
とりあえず、写真を撮らせてもらいました。
恥ずかしがって「顔が見えんようにしてくんない」・・・・・。
ご婦人と別れたところが、今日のコースの約半分でしょうか。
正直あまり見るものはありませんが、道が広く結構起伏もあり、足腰を鍛えるには良いコースです。
もっと先の、雑草がなくなった頃に、再度挑戦しようと思います。
宮崎県野尻町からひと山越えて22km散策
 6月の下旬まで、休みの日はすべて、宮崎県内のどこかここかを歩いていましたが、7月から急に単身赴任で宮崎県南西部の町へ行くことを命ぜられ、7月いっぱいから盆明けまでの約50日間、ロングウォークはもちろん、満足な休みも取ることが出来ない不自由な生活や仕事を強いられていました。
そして、やっとこの
818日で任務が終了、今までの「普通の生活」に戻ることが出来ました。
19日から8月の22日まで休みを取り、疲れを癒して久しぶりに、今日22日、散策に出かけました。ただ、宮崎県地方は大気の状態が不安定で、特に午後は、いつにわか雨が降ってくるか分からない天気の状態です。
濡れるのを避けるためテレビで天気予報を入念にチェックし、比較的降水確率の低い宮崎県西部方面に行くことにしました。
自宅を出たのが午後
130分と、かなり遅めですが、約50日間、ほとんど動き回ることをしていなかったので、身体が鈍(なま)ってしまっているはず。
久しぶりのウォーキングですので、あまり無理をしない程度に動くつもりでいました。
で、歩く所は宮崎市高岡町の最西部、隣り町の野尻町と境を接する野尻町堀切地区に車を停めて、そこから野尻町秋社に向けて歩を進めました。
天気予報をチェックしたお陰で、来る途中、狭い範囲ですが、かなり強い夕立に遭いました。
ただ、今日歩く予定のこの周辺は雨の心配はなさそうです。

灼熱の道筋

灼熱の道筋

ヘビもダウン?

灼熱の道筋

ヘビもダウン?
それより、立秋は過ぎましたが、真夏を思わせる太陽がギラギラと照り付け茹(ゆ)で上がりそうな暑さです。
50日ぶりのウォーキングですので、はじめはソロリソロリと歩を進めました。
歩き始めて
30分、体調は十分ですが、久しぶりの直射日光で帽子をかぶっていても、暑さと蒸し暑さでめまいがしそうな感じです。
幸い山里の両側に杉や雑木が茂っていますので、結構、日陰が多く何とか暑さから身を守ることが出来ます。
正直なところ、久しぶりのウォーキングですし、この暑さです。
せいぜい
1時間、出来れば往復2時間ほど歩いて切り上げるつもりでいました。
ところが、車を停めたところから
5kmほど約1時間歩いても、体調に変化はなく快調です。
それならと、野尻町の北側に横たわる山に入り、その向こうにある大淀川の支流で、清流として知られる浦之名川を目指すことにしました。
今、歩いている秋社と言う地区からですと約
6kmの距離です。
この道に限りますと、これまで
2度ほど歩いています。
浦之名川の下流には広沢ダムがあり、その下流からも訪ねたことがあります。
広沢ダムから北に向かってひと山、ふた山越えたところには、宮崎の奥座敷・綾の照葉樹林が生い茂っていてその真っ只中に有名な照葉大吊り橋が架かっています。
この辺りは、何度も歩いていますのでいわばホームグランドのようなものです。
山が連なってはいますが、道はその山を越えて向こう側に下りると言うのではなく、山の中腹を縫うように曲がりくねって、通っています。
したがって、最初と最後が、少し急な上り下りになっているほかは、わずかに上っていますが、上りを感じないほど、ほとんど平坦な道が続いています。
この道路の両側も杉の樹が植栽され、反対側は雑木が茂り、コースの半分以上は、日陰で今日のような日照りの日はその点では助かりました。

清流浦之名川

清流浦之名川

清流浦之名川

清流浦之名川

清流浦之名川
実は、50日間のブランクがなければ、6月末か7月のはじめには来る予定にしていました。
昨年、偶然山道で出遭った知人から、この浦之名川の上流一帯はクワガタやカブトムシの宝庫と聞いていましたので、楽しみにしていたのです。
残念ながら、今年は時季を失してしまいましたが、来年再度挑戦したいと思います。
このコースは、前述のように起伏が少なく、もちろん車もほとんど通りません。
道の周囲は緑が満載でリラックスして歩けます。
ただ、大嫌いなヘビが多いのには閉口しましたが・・・。ブランクはありましたが、あまり無理をしなかったので、往復22kmを歩くことが出来ました。
結局、往きが
2時間20分、帰りは2時間10分と往復4時間30分かかりましたが、体調は別に異常を感じず、また、6月まで痛んでいた右膝も悲鳴を上げることなく歩き通すことが出来ました。
現在、残暑の厳しい時期ですが、今後もあまり無理をしない程度にロングウォークを楽しんでいくつもりです。


宮崎で部分日食
 簡単に言ってしまえば、日食とは月が太陽を隠す現象です。
太陽よりはるか地球に近いところにある月ですので地球全体をみてみますと日食と言われるものは、どこかここかで毎年起こっていて、そんなに珍しいことではありません。
しかし、日本国内となりますと数年に一度程度の割合でしか起こりません。
ましてや皆既日食となると、もうこれは何十年に一度と言うような確率で、めったなことでは観ることはできません。

皆既日食と部分日食が観測された地域 (By National Geographic)

そんな珍しい皆既日食が2009年7月22日に、日本国内の種子島、屋久島、トカラ列島や奄美諸島の一部で見ることができるはずでした。
特に、トカラ列島の悪石島では6分以上に渡って観られる今世紀最長の皆既日食になるところでした。
このため日本はもとより世界中からマニアが同島に押し寄せました。
しかし、何分海上に浮かぶ小さな小さな島のこと、受け入れにも限りがあり、結局、200名程度の人々しか上陸することが出来ま船でした。
上陸した人々は、まさに「ラッキー!」になるはずでした。
他の人々は、時間は少々短くても皆既日食を体験出来る周辺の島々や、中国の上海、遠くインドなどに出かけて観測を試みました。
ところが、ところがです。長年待ち焦がれた折角の日があいにくの天気なのです。
日本のほとんどの地域で曇りや雨の天気となりました。
一番期待されていた悪石島は、まさに最悪。
皆既の時間は土砂降りとなり学校の施設へ避難を余儀なくされる始末です。
周辺の島々も似たり寄ったりで多くの天文愛好家が、自然現象とは言え天候にがっかりさせられてしまいました。
そんな中、東京のはるか南に位置する小笠原諸島に大型船で、出掛けた人々は、快晴の絶好の観測日和に恵まれ、皆既中、船の甲板に寝そべって真っ暗な「夜空」を見上げ、ダイヤモンドリングなどを眺めている様子がテレビで紹介されていました。
日本本土では、残念ながら今回は皆既日食を観ることは出来ませんでしたが、鹿児島から北海道の間で、一部分が欠ける部分日食が観測されました。
私も、当日の午前中、車を宮崎県西に向け走らせていましたが、野尻町に入ると、やけに警察官の姿が目立ちます。
周囲が暗くなり事故の可能性が高くなるので、警察も警戒して出動しているとばかり思っていましたが、実際は、その日の朝、小林市で発生した郵便局強盗未遂事件で警戒のため出動していたと、あとで知りました。

部分日食1
部分日食2 部分日食3 部分日食4 部分日食5
部分日食6 部分日食7 部分日食8 日食場所変更 日食場所変更
野尻町の国道沿いには人々が、偏光グラスなどで太陽を観ている姿が多数ありました。
とりあえず皆既の時間が近づいてきましたので、同町のリゾート施設「ゆーぱるのじり」の駐車場に車を停めて、流れの速い雲の隙間を狙って午前10時40分から、一番欠ける10時58分にかけて、カメラを太陽に向けてシャッターチャンスをうかがいました。
思ったより辺りは明るく、ヘッドライトを点けて走る車は10台に1台程度でしょうか。
もっと暗くなると思っていましたので若干、拍子抜けです。
写真は雲がフィルター代わりになって何枚か撮れましたが、世紀の写真としては物足りなさが残りました。
宮崎神宮の森と博物館
 6月28日(日)、梅雨前線が九州南海上で活発化する梅雨本番の気圧配置。
鹿児島や宮崎県南部地方を中心にかなり強い雨が降っています。
休日が雨模様の天気は、いつ以来でしょうか。
4月から仕事が休みの日は、ほとんど歩いていましたので良い休養です。
ところで、沖縄県地方は梅雨が明けました。
平年より5日遅く、昨年からですと11日遅い梅雨明けのこと、しかし、さすが南の島、朝から強烈な太陽が照り付けているそうです。
そんな訳で今日の休日ウォーキングはオフです。
ただ、動かないと身体がウズウズしてきます。
幸い雨も思ったほどでなく、止み間を利用して、宮崎神宮の森を1時間30分ほど歩きました。

宮崎神宮本殿

うっそうと茂る宮崎神宮の森

うっそうと茂る宮崎神宮の森

宮崎神宮御神田

博物館民家園・米良の民家

博物館民家園・高原旧黒木家住宅
 宮崎神宮と言えば、初詣での時に行くぐらいで、普段はほとんど訪れることはありません。
宮崎の観光コースではイの一番に名前が上がるところですが、近くに住んでいると、かしこまって行く気にならないものです。
ただ、今日は単に散策で一般の観光客が立ち寄る参道や本殿を訪ねるのと違って、242,360㎡と言う広大な敷地に、樹齢100年を超えるようなシイ、カシ、クス、タブ、スギなどの大木がうっそうと茂る間を縫うように通っている散策道をくまなく歩きました。
天気が悪かったため、大木の小道は昼なお暗く、湿気を含んで非常に蒸し暑く、歩き始めすぐに汗が噴出してきました。
今日ここに来たのは、前日から雨の予報が出ていて、「ロングウォークは、恐らく無理」とある程度わかっていたことと、宮崎神宮の北側に位置する宮崎県総合博物館内の民家園に展示してある、かって日本のどこでも見られたわらぶき、かやぶきの民家を写真に収めるのも目的のひとつです。
撮影した写真と宮崎県総合博物館の案内資料をもとに、展示されている4棟の民家を紹介します。
ここに展示してある民家は、宮崎県の山間部の五ヶ瀬、椎葉村、西米良村、高原町に建てられていたものを昭和47年から昭和53年にかけて移築、部分補修し復元したものです。
実際に建てられた時は今から150年から200年前とのこと。
4棟すべてが今では造ることが出来ない大変貴重な建物です。
したがって、それぞれが国の重要文化財や宮崎県指定有形文化財として、この施設で永久保存し一般に公開しています。
ルールに従えば、実際に民家の中まで上がって、当時の生活の一端を垣間見ることが出来ます。


県総合博物館

ここまで親切

米良の民家

米良民家内部

米良民家内部
        西米良村 「米良の民家」 宮崎県指定有形文化財
 米良の民家は、西米良村にあった黒木家住宅を移築し復元したものです。
この民家は、山間の三段石積みの上に建てられていたもので、外観・間取りなどに古い西米良の農家の形が残されています。
また。がっちりした骨組みの馬屋も残っています。
言い伝えですが、文政4年(1821年)頃に建てられたとされています。
 県指定日:昭和52年4月1日
 移  築:昭和47年10月から昭和48年3月
 旧所在地:宮崎県児湯郡西米良村大字竹原
 構  造:母屋 寄棟造・平入・かやぶき 面積:79,15㎡
       馬屋 寄棟造・平入・かやぶき 面積:35,18㎡
 旧所有者:黒木 幸見氏


米良民家馬屋

米良民家馬屋

内部天井

米良民家裏側

懐かしい光景
        椎葉村 「椎葉の民家」  宮崎県指定有形文化財
 椎葉の民家は、椎葉村にあった清田家住宅を移築し復元したものです。
 この民家は、宮崎県北西部に分布する並列型農家の典型で、間取りは部屋を一列に横に並べる形式で、 3つの部屋と土間からなっています。
 また、手前には板縁が通っています。
 解体中に発見された墨書きによって、元治元年(1864年)に建てられたのがわかっています。
 県指定日:昭和52年4月1日
 移   築:昭和51年10月から昭和52年3月
 旧所在地:宮崎県東臼杵郡椎葉村大字不土野
 構   造:寄棟造・平入・かやぶき  面積:137,97㎡
 旧所有者:清田  司氏


椎葉村の民家

椎葉村の民家

椎葉村の民家

椎葉民家内部

椎葉民家内部
       五ヶ瀬町 「旧藤田家住宅」 『国指定重要文化財』
 旧藤田家住宅は、九州山地中央部に残る民家の古い形式を伝える数少ない建物で、宮崎県西北部五ヶ瀬町から移築し復元されました。
この民家は、県内で確認されたものとしては、最も古いもので、間仕切り柱の刻銘によって造られたのは天明年間と言いますから大変古く、1787年頃と言うのがわかっています。
この民家の間取りは、「オモテ」と「ヘンヤ」の2つからなっています。
国指定重要文化財 指 定 日 :昭和48年2月23日
移   築:昭和52年10月から昭和53年9月
旧所在地:宮崎県西臼杵郡五ヶ瀬町大字三ヶ所
構   造:寄棟造・平入・かやぶき  面積:90,44㎡
旧所有者:藤田 平雄氏


五ヶ瀬の民家

五ヶ瀬の民家

民家内部

民家天井

五ヶ瀬の民家
       高原町 「旧黒木家住宅」 『国指定重要文化財』
 旧黒木家住宅は、高原町にあった郷土の建物を移築復元したものです。
 この民家は、宮崎県西南部に分布する分棟型農家の典型で、平入の「オモテ」と妻入の「ナカエ」の2棟か らなっています。
 発見された墨書きによって、郡奉行の御用を勤めたことで、天保5年(1834年)から2年間かけて建てられ たことがわかっています。
 国指定重要文化財 指 定 日 :昭和48年2月23日
 移   築:昭和49年9月から昭和50年8月
 旧所在地:宮崎県西諸県郡高原町大字蒲牟田
 構   造:オモテ 寄棟造・平入・かやぶき  面積:69,62㎡
        ナカエ 寄棟造・妻入・かやぶき  面積:62,26㎡


高原の民家

高原の民家

高原の民家

高原民家内部

高原民家内部
 4棟のいずれもが、かやぶきで見た瞬間懐かしい、遠い過去がよみがえってきます。
建物の内部には土間があり、障子や台風の時など開け閉めで苦労した雨戸、馬屋の中のリヤカーや大八車のワッカなど、昔の光景が次々と脳裏をかすめます。
戦後の混乱が収まりかけた頃に生を受けた私ですが、宮崎の片田舎に住んでいましたので、「あぁ-そう言えば、昔あったな。これもあれも」と、ここにある
4棟の民家と、その中の調度品などのどれもが昭和を思い出してくれる素晴らしい展示品です。
しかも、一つひとつの展示品の管理が行き届いていて、大事な日本の宝物として後世まで遺す手立てが打たれていることに感激しました。

民家園説明

石棺①

石棺②

石棺③

総合博物館

神宮の深い森

神宮の深い森

神宮の深い森

神宮の深い森

神宮の深い森
 上の段の写真は、古墳時代の石棺です。
民家園の隣りのスペースにどちらかと言うと無造作に展示してありました。
説明書きに従い紹介します。
石棺①は「箱式石棺」と言われています。
出土場所は宮崎県北の延岡市の樫山古墳の13号墳で、板状の石を箱形に組んで、棺の身とフタを造る石棺です。剣ひと振が副葬されていたとのことです。
石棺②は、「クリヌキ式石棺」と言われています。
これも延岡市から出土しています。場所は小野地区で石棺①とは別の場所です。
阿蘇山から流れ出て固まった溶結凝灰岩をクリ抜いて造られた身とフタからなる石棺です。
この石材を使用した石棺は、延岡地方で多く見られます。
石棺③は、①と同じく「箱式石棺」と言われています。
これも延岡市から出土したもので場所は友内山地区です。
薄い板石を、箱状に組み合わせて棺身を造る石棺です。
フタの上に石積をもつのが大きな特徴です。


宮崎神宮図

正面入口鳥居

正面中鳥居

宮崎神宮本殿

巨樹①
 上記写真は、宮崎神宮の全景を表す案内地図と、宮崎神宮を正面入口から見た写真です。
一番左の鳥居からですと、本殿までの距離は目分量で300m位でしょうか、その奥に宮崎神宮の社務所などがあります。
また、右端の巨樹①は正面入口横にあるラクウショウと言う樹で、樹齢が約100年、幹の周りが4,6m、樹の高さは24mで、正面横にありますので非常に目立つ樹です。
平成4年3月に宮崎県巨樹百選に認定されています。
宮崎県野尻ー内山林道を歩く
 2009年6月20日(土)、前日の雨が朝方まで残り、昼前から太陽が顔を出しました。
この時季ならではの不快指数が最高に上る、ムシムシする典型的な天候です。
前夜、久しぶりにアルコールの量がまとまり、しかも朝方、雨が降っていましたので、今日は久しぶりに身体を休めようかと、内心思っていましたが天気が回復してきたとなれば話しは別、動きます。
と言って何も計画していなかったので、どこへ行こうか悩みした。
住んでいる周辺を歩くのも、気が乗りません。
地図を見ながら、やっと決めたのは宮崎県南西部の野尻町です。
ここは、これまで2度ほど町内を歩いていますが、まだまだ未踏のところがたくさんあります。
「野尻湖」をはじめ「野尻湖ピア」、「ユーパルのじり」など町も観光に力を入れています。
昔からの特産のメロンに加え、最近はマンゴーも栽培しています。切りバラも隠れた人気を博しています。
また、畜産も盛んで諸県牛と言えば高級牛の代名詞にもなっています。
それに意外と知られていないのが、山城跡や古来からの仏教文化の宝庫で石窟仏や磨崖仏など学術的に貴重なものが遺されています。
今日はそんな野尻町の北側に連なる林道を歩くことにしました。
この野尻町を突っ切る国道268号線はよく通る道ですが、国道の北側の山の中腹には道が通っているのが分かります。
地図には林道・野尻―内山線と書かれています。
拡幅されたのが比較的新しい道のようです。
国道からこれだけ鮮明に見えるのですから、山に上れば景色はもっといいはず。
と、通るたびに思っていました。

野尻町吉村の五輪塔群

野尻町吉村の五輪塔群

野尻の南西、雲の霧島連山

野尻ー内山の立派な林道
 役場の手前から国道を右折し、車をどこに停めようかと考える暇もなく広々した町道の駐車スペースを確保しました。
山の麓に民家が点在していていかにも里山の雰囲気です。
時間は午後1時、6時頃まで散策するつもりです。
歩き始めて10分もしないうちに4差路にぶつかりました。
右に行くと「萩の茶屋」、左つまり西に向かうと「あすなろ運動公園」そしてもうひとつ、右方面に「吉村の五輪塔群」と言う矢印が建っていました。
林道は西に向かわなければなりません。
ただ、この五輪塔が気になりました。地図にもありません。
案内にも、ここからどれだけの距離にあるのかが書いてありません。
しかし、5月はじめに宮崎郡清武町で石塔を観ていますので、どうしても気になり、右に折れました。
あとは気の向くまま足の向くままです。
ところが、意外にも200mも歩かないうちにそれらしきものがあるではありませんか。
完全に拍子抜けです。
道路沿いに少々粗末な造りのお堂があり、その中に5体の五輪塔が鎮座しています。
説明によるとこの5体は比較的保存状態が良いのでこうして建物の中で保存してあるとのことです。
この五輪塔群について野尻町教育委員会の説明書を引用し紹介します。
『明治期以降の開墾によって五輪塔の残欠が多数掘り出され、竹林の中に野積みされて約90年間近く放置され、人の目にもふれることなく長い時間雨風にさらされてきた。
平成元年度の竹下内閣の時のふるさと創生1億円事業の「古代野後駅調査実践隊によって、埋もれていた五輪塔を掘り起こし現在地に収集保管した。
その後、多数ある五輪塔の中から風化防止のため五基を選んで堂の中に保存供養している。・・・・・後略』
※ そもそも五輪塔とは、五大(ごだい)にかたどった5種の部分からなる塔のことを言います。
別に卒塔婆(そとうば))とも言います。
五大とは、物質の構成要素である地、水、火、風、空のことで、輪とはすべての徳を具備するという意味をもっています。(下の写真にそのことが説明されています。)
したがって五輪とは、地輪、水輪、火輪、風輪、空輪の総称のことです。
それぞれ方、円、三角、半月、宝珠(ほうしゅ)形に造られ、日本では平安時代のなかばごろから死者への供養塔(くようとう)あるいは墓標として用いられました。
石造りが一般的で、木、金属、泥などでつくられたものもあります。
ちなみに、人間の五体(ごたい)は五輪からなり(五輪五体)、大日如来(だいにちにょらい)と等しいとみなして、密教の修行者たちは五輪成身観(じょうしんかん)という観法(かんぼう)(禅定(ぜんじょう)の一種)を修しました。
保存状態の良い五基以外にも堂の外には約50近くの五輪塔が並んでいます。
こちらは、寄せ集められましたが、炎天下や真冬の寒空にじっと耐えて鎮座しています。

五輪塔群

五輪塔群

五輪塔群

五輪塔群

五輪塔群

五輪塔群

五輪塔群



五輪塔説明

尻内山林道

林道

林道

野尻内山林道

野尻内山林道
 五輪塔が比較的近くにありましたので、引き返して西に向かいました。
山の麓に沿って道は延びてはいますが、起伏が少なく平坦なところが続きます。
道路の状態は良いのですが、問題は私自身の体調。
昨夜の深酒が効いて歩きながらですが、眠くてたまりません。
おまけに照ってきた太陽の暑いこと、湿気を含んでいますので余計蒸し暑く感じます。
ここは水をドンドン飲んで汗とともにアルコールを出してしまわないと、途中で倒れそうです。
約1時間ほどでしょうか、里の道を歩いていたら4差路に出ました。
標識を見ると野尻―内山林道と描かれています。
完全拡幅が平成18年と言うことで、道をみてもまだまだ新品です。
この交差点を山の方へ折れて、林道に入りました。
いきなりの上りです。それも結構の急勾配です。
位置関係がはっきりしないのでどこまで上っているのやら地形がどうなっているのやらさっぱりわかりません。
道路沿いには、まだ若木のサクラが植えてあります。
良く見ると、「野尻小学校卒業記念植樹」と名前と卒業年度が書かれています。
地元の小学校を卒業した児童が記念に植えたのでしょう。
古い樹には平成13年の文字があり、毎年毎年3月の卒業時に植樹する伝統があるのでしょう。
ふるさとの自然を守り、自分の成長と木々の生長を対比しながら年齢を重ねていく、素晴らしいですね。
上へ上るほどに卒業年次も新しくなっていきます。
そんなサクラの木を見ながら、上へ上へ進むと気も休まりますが、一向に平坦になりません。
相変わらず、ずーっと上っています。
川もない車も通らないただ、無機質の道路を見つめて歩を前に進めるそんな感じです。
下から見上げると、もっと下界が素晴らしく見えると思ったのですが、木々に遮られてなかなか景色も見ることができません。
麓からずーっと道路は道幅7mの2車線の立派さ。
丁度中間点近く、下からも見える高さ4~50mのセメントの壁に差し掛かってきました。
近くで見るとすごい迫力です。
こんもりした山をほぼ一周するようにセメントの壁が覆っています。
「これは金が相当かかったろうな」と下世話な想像が脳裏をよぎります。
実際、1時間以上歩いていますが、車がほとんど通らないんです。
その壁の脇に看板がありました。
脇道を登っていくとハイキングコースになっていて、展望台などがあると書いてあります。
で、入り口から上って行こうとしましたが、すぐに引き返しました。
コースが草で覆われていてまるで進めないのです。
今の時季はとてもハイキングを楽しむには無理があります。
草のない冬場にまた、来ようとと思います。

展望台入口

展望台入口

竣工3年前

林道遠景

林道遠景

林道名物

霧島連山

霧島連山

綺麗な山野草

綺麗な山野草
 しかし、さすがにここまで上ってくると下界の景色は、今までと違ってあざやかです。
ただ、まだ完全に晴れ渡った訳ではなく、いつもなら見えるであろう霧島連山の勇姿も半分から上は厚い雲に覆われています。
この丸い山をほぼ一周しましたが、道はまだまだ、上っています。
こうなったらせめてピーク地点まで行って見ようと、先を急ぎました。
地図によりますと、この辺りの山の標高は5~600m今歩いている道はだいたい3~400mでしょうか。
アルコールもほとんど抜けたようです。
約30分が経過しました。
どうやら峠が近いようです。
急坂も柔らかくなってきました。
そして、下りへと入りました。
ここが野尻町と小林市の境でもあります。
ここまで1時間40分、時間があればずーっと下っていくのですが、ちょっと今日は無理です。
上りの時は全く吹いていなかった風が峠では勢いよく吹いています。
そのなんと気持ち良いことか。
時計を見たら午後3時30分を回っています。
帰りは全くの下り坂、途中の道を入れても午後6時には車に着けそうです。
しかし、何回も書いて恐縮ですが、この林道の立派さと、反比例して車の少なさあまりのギャップに驚いてしまいます。


8年前のサクラはスクスク成長

7年前植樹のサクラの木

2年前植樹のサクラの木

7年前植樹のサクラの木

雑草に埋ってます。平成21年3月22日植樹

雑草に埋ってます。平成21年3月22日植樹
 ところで、林道に入ったところで紹介した地元小学校の卒業記念植樹ですが、峠近くまで延々と続いていました。
ここまでくると卒業年次も新しく平成19年、20年さらに、この21年とつい最近卒業した児童が丹精込めて植樹したサクラの樹が植えてあります。
しかし、確かにこの春植えたはずの樹や名札がチョット見には見えないのです。
道沿いに植えてあるはずなのですが、で、よーく見ると、雑草が既に樹を追い越してしまっているのです。今春、植えたばかりのサクラの樹は、まだまだ手入れが必要な幼木でしょう。
それが、雑草に完全に飲み込まれてしまっていました。
中には枯れてしまっているものもありました。
確かに今年は暖冬で2月、3月から現在に至るまで降水量が極端に少なく推移しています。
植樹した地点は麓から相当の距離にあり、植えた児童たちも今では中学生、恐らく自分達が植えたサクラがどういう状態になっているか分からないでしょう。
サクラの樹自体はかなり繁殖力の旺盛な木です。
ですから、麓近くに植樹した樹はいまでは直径が20cmを超えているものもあります。
恐らく春にはきれいな花を咲かせているでしょう。
しかし、峠近くの樹はどうなるのでしょうか。
私は、サクラに詳しくないのでなんとも言えませんが、下りに沿道に植樹されている成長したサクラを見るたび、峠近くの幼木が気になって仕方がありませんでした。

雑草に埋ってます。平成21年3月22日植樹

雑草に埋ってます。平成21年3月22日植樹

道の駅・ゆ~ぱるのじり

道の駅・ゆ~ぱるのじり

大塚原公園
宮崎県美郷町北郷区のアジサイ
宮崎県地方は6月11日に梅雨入りしましたが、全くの「空梅雨」、雨が降ってくれません。
ただ今、テレビでは東京地方や沖縄県地方の豪雨の模様を伝えていますが、我宮崎県はどうしたことでしょうか。
梅雨と言えば、やはりアジサイが一番似合います。
しかし、それもシトシト雨が降っていることが条件ですが・・・・。
昨日の6月14日は、県南の日南市の山間部を歩きました。
明くるこの15日も休みです。
今度は県の北部を目指しました。
「梅雨」に良く似合うアジサイの写真を撮るためです。
しかし、天気は快晴、きのう同様少しモヤがかかってはいますが、絶好のウォーキング日和です。
ただ、雨は無理のようですが・・・。
県北のアジサイの名所と言えば、椎野アジサイロードでしょう。
日向市から西へ入った、美郷町北郷区から六峰街道を上がって行く途中にある集落です。
この「椎野アジサイロード」が、最近富に名前が知れ渡るようになってきました。
北郷区の中心部から車で約7km、周囲を高い山々に囲まれ、北側の崘出(ろんで)山の南斜面一帯に色鮮やかなアジサイが植栽されています。
北郷区の中心部からですと、4kmもの長い距離に渡って道路の脇にアジサイが植えられています。
しかも、町民総出で植栽を完成させたのなら、なにも驚きはしませんが、このアジサイロードは、椎野地区のわずか4所帯の人々が、20年前から丹精込めて、山の斜面、道路の石垣、棚田のアゼなどに植栽してきたと言うところに価値があり、背後や正面の山々と対比して見事なロードを造り上げています。
そんな住民の血と汗の結晶に惹かれるのでしょうか、月曜日ながらこの日もたくさんの見物客が訪れていました。


北郷区椎野のアジサイ

北郷区椎野のアジサイ
美郷町北郷区の舟方轟
美郷町北郷区の舟方轟
 ここで紹介しているアジサイは、数がわずかですが、実は2年前私の父がここを訪れた時の写真がありますので、紹介します。その日はアジサイには打ってつけの雨の日でした。

アジサイロード

アジサイロード

アジサイロード

アジサイロード

アジサイロード

アジサイロード

アジサイロード

アジサイロード

アジサイロード

アジサイロード

舟方轟案内

舟方轟の奇岩

舟方轟の奇岩

舟方轟の奇岩

舟方轟の奇岩
 「椎野アジサイロード」を観た帰り、宇納間から門川・延岡方面に国道388号線を走っていると、途中から五十鈴川に合流します。
北郷区に源を発し、門川町の門川湾に注ぐ中小河川です。
川沿いの道は、以前は狭くて離合もやっと言う状態でしたが、久しぶりに通って見ると随分改良が加えられているのに驚きました。
合流してしばらく走り、舟方と言う地区に差し掛かると、川の形状がにわかに変わってきます。
約500mに渡って、無数のおう穴群と奇岩、巨岩が姿を現します。
この周辺は道路が狭く、以前は気にも留めず走り去っていたのですが、現在は車を駐車するスペースが十分とってあります。
中心部には上の写真のように、奇岩群が出来た経緯が地元の舟方公民館の手で作られています。
それによりますと、この奇岩群は舟方轟と言われていて気の遠くなるような太古の時代から時をかけて醸成されたとのことです。
国道の改良工事が進むに連れ、多くの人々に知られるようになり、今では地元の最大の名所になっています。
形状はさまざまで、崖に沿って平行に筋が入ったものや、川の中心部が浸食されて深くなっているところ、巨岩がそのまま露出しているなど、観ていても飽きることのない顔を見せてくれています。
この舟方轟は約1億年前の地層が川の浸食によって、長い年月をかけて出来たものと言われています。
巨岩、奇岩が織り成すさまざまな模様は、悠久の時を超え観るものを圧倒します。
一方、周辺の山々は、季節ごとにその姿を変えます。
春の山サクラ、初夏の山ツツジ、岩ツツジや晩秋の紅葉などが岩場に色を添えてくれます。
ただ、ひとつ残念なことは、川のキレイさです。
かなり山間部に属していますが、清流と言うには今ひとつと言うところでしょうか。
ところで対岸には、大正時代に行われていた石炭の採掘現場の跡が今も残っていますが、当時は地元住民に利用されていたと言われています。
また、5月の節句の時季には対岸に向かって多数の鯉のぼりが勢い良く泳いでいます。
地元、舟方の人々もたくさんの人々が訪れるのを念じ、良い印象を持って帰れるよう常に河川の美化に努めています。
宮崎県日南ダムと坂元棚田散策
 日南海岸に咲く春のブーケンビレアは、終わりを迎えようとしています。
秋に咲くブーゲンビレアもカレンですが、やはり夏のイメージが強い花ですから、秋は物悲しくなります。
これから夏にかけては、サンゴシドウやアメリカディエゴなど、情熱的な真っ赤な花が訪れる観光客の目を楽しませます。
日南海岸を南に下って、日南市の先に旧南郷町がありますが、なんでも6月14日、つまり昨日まで、その南に位置する宮崎県の亜熱帯有用作物園の一角に植栽されているジャカランダが見頃を迎え、祭りが開かれていました。
「道の駅なんごう」裏の山の中腹に約200本ほどのジャカランダの木が、淡い紫色の花を付けています。
一昨年でしたか、私も写真を撮りに訪ねました。
丁度今が見頃なのですが、今回はパスしました。
マイアミや南アフリカのプレトリア、リオデジャネイロなど世界のジャカランダのスケールを目にすると、足が向かなかったというのが、正直なところ、私の感想です。
ところで、毎年咲いていた、堀切峠南の「道の駅フェニックス」のジャカランダの大木は今年は、花を付けないのでしょうか。
建物の西側にありますが、3週間前訪ねた時は、全く咲く気配なし。
昨日6月14日(日)、訪ねた時は緑の葉一色でした。どうしたんでしょうね?
ところで、昨日はこの「道の駅フェニックス」を素通りして日南市に向かいました。
と言っても、前述のように南郷町の「ジャカランダ祭り」に行ったのではありません。
日南市から国道222号線を西に向かいました。
まっすぐ行けば都城へ到着します。
しかし、車を置いたのは、同市飫肥の西にある酒谷地区の「道の泉・種子田」と言う国道沿いですが、冷たい湧水が出ているところです。
実は、今年3月8日に、車をここに停めて城下町飫肥がある東に向かって歩きました。
今回は全く正反対の西に向かって歩き始めました。

目的地は、日南ダムとその上流部から国道を入ったところにある、日本棚田百選に指定されている「坂元棚田」です。
すぐ脇を流れている広渡川水系の酒谷川を見ながら、一路目的地を目指しました。
国道222号は通称「飫肥街道」と呼ばれていて、改良が進み1時間余りで都城に行くことができます。
改良のお陰で道は良くなりましたが、以前の旧道の面影をところどころに残していて、時々出くわす集落は、主に旧道に沿って、連なっています。
途中、酒谷小学校、酒谷中学校と小規模ながら学校が、依然として500m間隔で存在していました。
「まだまだ過疎には負けないぞ」と、言うような心意気を感じます。

日南市石原日南ダム

日南市石原日南ダム
国道222号飫肥街道 飫肥杉一色の国道222号飫肥街道

日南市坂元棚田

日南市坂元棚田
 この辺りからですと、日南市の中心部まで車で20分ですから、そんなに山間部と言った印象は受けませんが・・・・・。
ただ、秋山と言う集落を抜けようと旧道に入りましたら、しばらくして通行止めの標識が目に飛び込んできました。
目の前に秋山隧道と言う古めのトンネルがあります。
どうやらその向こう側の出口付近が、ガケ崩れで通れなくなっています。
何時壊れたかは、近くに人がいませんでしたので、分かりませんでしたが、以前、鵜戸神宮周辺を歩いた時に、かなり傷んだ道路を目にしましたが、仮にあの時と同じ時期であれば、平成17年9月の台風14号の時と思うのですが・・・・・。
しかし、それなら、何故今まで復旧工事をしないで放置しているのでしょう。
崩れた規模はそんなに大したものではありません。
さらにトンネルの向こうには10戸ほどの民家があるのにです。
しかし、その理由を見つけるのはは簡単でした。
この旧道の脇を流れる酒谷川の対岸に立派な国道222号が通っているのです。
旧道沿いに残された民家も上流からですと、簡単に行き来することが出来るのです。
ですから、ワザワザ金をかけて復旧工事をする必要が無いのでしょう。
歩き始めて、1時間40分が経過しました。
今日は、天気は良いのですが、モヤがかかっていて視界があまり良くありません。
目の前に日南ダムが見えてきました。
丁度、国道から全容を見渡すことが出来ます。
全長189mの堤防の真下から2筋の水が糸を引くように流れ落ちています。
高さは47mとダムとしては中規模ですが、堤の幅が分厚いなど造りは非常に頑丈です。
昭和60年3月の竣工ですが、この地域は宮崎県有数の雨の多いところで過去には幾多の水害を経験しています。
その防災と灌漑を目的にこのダムが造られました。
この日南ダムを境にしてこれより上流地域一帯は、小松山(989,8m)を筆頭に1000mに近い山が連なっています。
夏場にそんな山々に太平洋からの暖かく湿った大気がぶつかり周辺に大雨を降らせます。
雨を降らせるメカニズムはこの前、訪れた都農の尾鈴山周辺とほとんど同じです。
この一帯は杉の産地として有名ですが、その一番大きな要因は降水量です。
特に、深瀬や小布瀬地区は、多雨で有名なところです。
このように周辺に降った雨が酒谷川へと流れ込み、水害の原因を作ってきました。
日南ダムはそんな水害を防ぐために造られたダムです。
このダム下から国道は大きく迂回してダムの上を目指します。
途中、ダムへ行く道があり、堤上は車が通れる広さがあります。
一番驚いたのはダム湖から下流への流れです。
円形状に造ってあり、溢れた水が下へ落ちていきます。
こんな形状のダムは始めて見ました。
前述のようにダムまでは車で気軽に行くことができます。
資料館もあり社会勉強も出来るようになっています。
さらに、山間部に位置していますので、ダムの明かりを除くと周囲は全くの闇、満天に星が輝く様はロマンチックそのもの。
日南市内から20分程度で来れる、カップルには絶好のデートスポットと言えるでしょう。

また、5月いっぱいは酒谷ダム湖面に鯉のぼりが乱舞します。
何しろ数が半端ではなく、その光景には圧倒されます。

 ガケ崩れ

 ガケ崩れ

 ガケ崩れ

 ガケ崩れ

  左端が現場

222線と酒谷川

222線の休憩所

日南ダム

日南ダム

日南ダム

日南ダム

日南ダム

日南ダム

日南ダム

日南ダム

酒谷ダム湖

ダム下流域

飫肥街道

飫肥街道

杉と飫肥街道
 ところで、ウォーキングは、この日南ダムからがきつい上りになります。
約2km上部に「道の駅・酒谷」がありますが、この手前まで息つく暇のない坂が待ち受けています。
約30分で上り切りますと、やっとほっとと言ったところですが、この道の駅から国道に別れを告げ山手に向かいますと目指す「坂元棚田」です。
しかし、車を置いてここまで9km。
棚田はここから3km先にあります。
しかも、またまた、ほとんどが上りです。
果たして上り切れるのか。
右ヒザの調子もあまり良くはありません。
坂元地区と言えば、遠く平成2年から3年ころは仕事で良く通っていました。
当然、そのころは棚田がこれほど脚光を浴びてはいませんでした。
したがって、私自身も全くの無関心でした。
そんなこともあり、今回久しぶりに坂元を訪ねたのですが、今まで棚田を誤解していました。
以前、訪ねていたころは、上り道を上がっていくと、辺りが急に開け、道の両脇に10段程度の段々畑の水田が目に入ってきます。
その上の方には農家が何軒か点在しています。
私は、この段々畑の水田が「棚田百選」に選ばれた有名な棚田と勘違いしていました。
しかし、なんとなく、スケールが小さいなあと思ってはいましたが、ここ10年以上来たことがなかったので、気にも留めていませんでした。
ところが、今回訪れてみて、目指す棚田はもっと上方の小松山の中腹に広がっていることを始めて知りました。
確かに、以前も上に上がると農家が点在していたのは知っていましたが、そのまた上に棚田があったとは、新鮮な驚きです。
もっとも、ここ10数年で棚田もそれなりに、整備されたこととは思いますが・・・・。
その一つが展望所です。
ここからですと棚田を隅から隅まで見渡せることが出来ます。
ただ、今日はモヤがかかっていて、しかも夕方の逆光です。
鮮明な写真が撮れませんでした。
また、いつか来てもっと鮮やかな写真を撮ることにしたいと思います。
ところで、ここまでくると、徒歩は大変です。上
って下って、もうヘトヘト。
なんとか車までたどり着けましたが、ちょっと「坂元棚田」を甘くみていました。反省・・・。

道の駅酒谷

棚田入口

坂元棚田

坂元棚田

坂元棚田

棚田案内

棚田案内

坂元棚田

坂元棚田

展望所
宮崎県日向岬を歩く
 2009年6月6日(日)、例年5月から6月にかけての大潮の満潮時に、宮崎県北の延岡市鯛名町や日向市平岩のサンパーク下の海岸で、クサフグの産卵が見られます。
満潮の潮に乗って何万と言う、それこそ無数のクサフグが、波打ち際に押し寄せて、メスの卵子にオスが真っ白な精子をかける自然の営みを目にすることができるのです。
ただ、大自然の中の出来事、その神秘的な営みを目撃するのは至難の技とも言えます。
丁度この日、その自然条件に合致するとあって、逆算し夕方サンパーク下の「フクトヶ浦海岸」に到着するようコースを選定しました。で、選んだコースが日向岬1周です。

西ハエとサンパーク

小黒ハエと長ハエ

サンポウの奇岩巨岩

クルスの海

馬ヶ背・日本一の柱状節理

馬ヶ背の先端右に小黒ハエ
 宮崎県北に位置する日向市の東に突き出た日向岬はここ数年、道路や観光スポットの整備が進み、テレビドラマや映画、雑誌などで紹介され徐々に全国に名前が知られるようになり、県内外からの観光客が増えています。
私も1980年代、つまり昭和の時代はよく釣りに通ったものでした。
サンポウ、塩屋崎、地のナガハエ、小黒ハエ、白ハエ、飛島、沖のナガハエなど、釣れるポイントがたくさんあり、ハマチ、ヒラマサの青物、クロ(メジナ)、チヌ、イサキなど、陸から釣行してもそこそこの釣果が揚がっていました。
しかし、最近はこの一帯は魚も枯渇し、釣り人の姿も遠ざかっています。
今日は、そんな日向岬の変貌ぶりを目に焼き付けようと、この岬の隅から隅まで歩くことにしました。
実は昨年、この岬の入口から1,5km南にある日向市小倉ヶ浜運動公園に車を置いて、岬を1周するつもりでスタートしました。
ところが、途中から雨が降り出し、日向岬グリーンパークと言う野外音楽堂と多目的広場を備えた、岬の始めのところで断念した苦い思い出があります。
しかし、今日は雨の心配は全くありません。
岬の付け根に当る伊勢ヶ浜海水浴場駐車場に車を置いて、そこから歩き始めました。
岬と言うくらいですから、大方と言いますか、すべては山から成り立っていてコース全体を通して起伏の激しい道が続いています。
スタートして早速、上り坂の洗礼を受けます。
最初のスポットは、前述の日向岬グリーンパークですが、かなり手前からバンドの演奏する音楽が聞こえてきました。
さぞかしたくさんの人々が音楽を楽しんでいるのだろうなあと、野外音楽堂に近づいていきました。
ところが、拍子抜けです。観客はたった3名のみ。
いくら無名でアマチュアとは言え、演奏しているバンドが、気の毒に思えました。
丁度私がそこへ到着したころ、懐かしいステッペン・ウルフの「ワイルドで行こう」を、演奏していました。
コピーですが、歌唱力や演奏の技術はまあまあと言ったところでしょうか。
すこし「オジンバンド」で若者には縁の薄い楽曲だったでしょうか。

日向岬案内

グリーンパーク

グリーンパーク

岬の南を見る

グリーンパーク

パラグライダー

日向岬①

日向岬①

細島灯台

米の山
 その音楽堂の西側には、パラグダー飛行で有名な、この日向岬で一番高い、と言っても標高200mに満たない192mほどの山ですが「米の山」が、日向岬の付け根部分に張り付いています。
この山は、いわば日向岬のシンボルのような山です。
200m弱とは言え、徒歩で上るのはかなり大変です。
ほとんどが急な坂道で、平坦なところはほとんどありません。
約25分ほどで一気に上り切ると、そこはまるで別天地。
風の何と気持ち良いことでしょう。
日向岬が一望のもとに納まり、久しぶりに眺望抜群のもとで食べたおにぎりは、5万円のディナーに匹敵する美味しさでした。
駐車場の案内板には、天気が良い日には、約50km南の宮崎市のシーガイアや70km先の青島まで見えると書かれていました。少し驚きです。
頂上には展望台があり、その真下にはパラグライダーのテイクオフポイントが広がっています。
テイクオフの瞬間は、まるで太平洋に突っ込むような感覚と、愛好家に以前聞いたことがあります。
約15分ほどのフライトの後、グリーンパークの多目的広場にランディング、車を使えば10分で山の頂上に戻ることが出来る手軽さで多くのフライヤーが空中散歩を楽しんでいます。
下りは、上りと全く逆で15分ほどで、グリーンパークまで戻ってきました。

サンポウ遊歩道

サンポウ西方

サンポウ直下

サンポウ展望所

サンポウ絶景

クルス展望台下

クルス手前

クルス展望台

小黒・長ハエ

クルス岩
 さてこれから、この日向岬の名所・観光スポット地域に入って行きます。
ほぼ100%、海をメインとした自然のテーマパークが続きます。
始めて訪れる人々には強烈な自然の造形美を堪能することができますが、徒歩でこの岬を回ろうとしている私には、この道の起伏は大変ハードで景色をゆっくり堪能することができません。
日向岬サンパークを別れて、最初のビューポイントは、「サンポウ」と言う名の岩場です。
道路際と奥まった所に約10台ほどの駐車スペースがあり、車を降りて遊歩道を2~3分ほど歩くと、雄大な太平洋が真下に見えてきます。
その先には展望台が設置してあります。
巨大な1枚岩が水中に突き刺さるように横たわっていて、見晴らしスケールともに最高です。
30mほどの真下を見ると、釣り人が糸を垂れていました。
足元直下からドン深で、大物が潜んでいそうな釣りのA級ポイントです。
私も昔はよく通いましたが、最近は全くご無沙汰しています。
この「サンポウ」と西側に連なる「塩屋崎」や離れ瀬の「西ハエ」、「白ハエ」など、以前は8号ハリスのダブルを一発で飛ばされるような当たりに何度も遭遇しましたが、現在は自然が枯渇して見る影もありません。
あまりにも簡単に行けますので魚がいなくなるのは、自明の理でしょうか。
なにも「サンポウ」に限ったことではなく、この岬一帯にそのことが言えます。
昔の釣れていた時を知っているだけに一抹の寂しさを感じます。

先ほども書きましたが、いつもは車で来る道ですが、徒歩となるとかなりキツいですね。
サンポウを過ぎてからより強くそう思います。
と、同時にゆっくりゆっくり道を踏みしめながら進むので素晴らしい景色を鮮明に脳裏に焼き付けることが出来ます。
「サンポウ」の先の起伏の激しい道路から海を眺めると、離れ瀬や岩に砕けた波が真っ青な海に映えて、まさに絶景です。
ほどなくすると、クルスの海を見下ろせる展望台です。
このビューポイントは、何十年も何百年もと言う歴史は刻んでいません。
比較的新しい日向岬の名所です。
展望台から眼下を見下ろしますと、離れ瀬がうまい具合に配置され、その水路に当る部分が十字架模様をしています。
自然は良くしたもので、さらにこのクルスの海、東側の上空から見ますと、「叶」と言う字にも見えます。
この形状からここに来て祈ると、恋が成就すると、ロマンチックに仕上げています。
展望台には、幸せの鐘が設置してあり、恋人が仲むつまじく鐘を鳴らす光景が見られました。
因みに宮崎県北には、他に美郷町南郷区の「恋人の丘」や延岡市の「愛宕山」にも同じような鐘や、恋が成就できますようにと、延岡市の愛宕山の展望台の手すりには、願い事をしたためた、たくさんの錠が掛っています。
この三角地点が徐々にではありますが、恋のトライアングルとして若い恋人たちに静かなブームを引き起こしています。


クルス案内

クルスの海

クルスの海

幸せを呼ぶ鐘

クルスの海

小黒・長ハエ

遠く馬の背

遠く馬の背

沖の長ハエ

小黒・長ハエ

日本一

日本一
柱状節理案内
細島灯台

細島灯台

馬ヶ背

馬ヶ背

馬ヶ背

馬ヶ背

馬ヶ背
 道路は相変わらず、下ったり上ったりしながら、先端の岬へ向かいます。
以前は狭かった道も曲がりくねってはいますが、大型バスが通れるほどに拡張されています。
最後の坂を上りきったところが、この岬で一番有名な「馬の背」入り口の駐車場です。
いつの間にか、茶屋ができているのにはびっくりしました。
それより何より訪れる人々の多さには驚きました。
大型観光バスや福岡、神奈川、埼玉、山口、佐賀など県外からの自家用車も多数駐車していました。
最近は、ほとんど来たことがなかったので、変わり様が分かりませんでしたが、よくテレビドラマなどで取り上げられて知名度が上ってきたのでしょうか。
いずれにしても宮崎県人として観光名所が増えるのは嬉しい限りです。
駐車場の北側に「馬ヶ背」入り口の看板が架かっています・・・・・。
日向岬先端一帯の海は、釣りの好ポイントが点在しています。
しかし、地続きの磯場は、概して、長い距離を重い荷物を背中にかついで歩いて行くか、滑り易くゴツゴツした岩場に足を取られながら目指すポイントに行かねばなりません。
しかしながら、ただ釣り場に行けば釣れるというものでもありません。
あくまで自然が相手です。
昨日まで大量であっても今日は、さっぱり釣れないと言う日は当たり前。
朝早くから夕方まで粘って全く釣れないことはしょっちゅうです。
道中、キツイ思いをしてまで釣行するのは、やはり大自然の空気に触れ、日頃のストレスを発散するなど、海を見て、ひとときだけでも日常生活の喧騒から逃れられ、気分転換ができるからにほかなりません。
岬の沖には岩礁が点在しています。
沖のナガハエ、飛島、小黒ハエ、白ハエ・・・・などなど。これらの岩礁には岬北側にある天然の良港・細島港から瀬渡し船が不定期で出ています。
船からですと、細島灯台や馬ヶ背、柱状節理の大絶壁などのビューポイントが手に取るように見ることができます。
特に、海が荒れている時などに、正面に浮かんでいる小黒ハエから見える、柱状節理の割れ目に打ち付ける波の迫力は相当なものです。
高さ70mはある柱状節理の上まで波しぶきが上がることも珍しくありません。
砕ける波の音がズズーズーンと地響きのように響いていたのを思い出しました。
ある時、たまたま一緒になった地元の釣り人と小黒ハエの西側で釣りをしていたところ、一段下に釣り座を構えていた釣り人が、突然襲ってきた大波で海にたたき落とされたのを目撃した経験があります。
岩礁には他に人は居ず、非常に焦りましたが、私のクーラーボックスを海中に投げ入れ、運良くそれに摑まり、岸へたどり着き一命を取りとめたと言うことがありました。
もちろん、その人の竿や釣具、リュックサックなどはすべて流されましたが、命だけでも助かれば言うことはないでしょう。
ナギのように静かな大海原が突然牙をむいた瞬間でした。
不意打ちを食らったくだんの釣り人も、海のベテランでパニックに陥ることなく冷静に対処したことが、生存につながりました。
海が荒れていればそれなりの注意を払うのですが・・・・。
確かに天気図にははるか南方に台風が発生していて、その影響でウネリが襲ってきたのでしょう。
本人も「完全に油断したなあ。それにしてもあんな波は初めて」と話していました。
改めて海の怖さを知った出来事でした・・・・・・。

馬の背の入り口は観光地らしく小ギレイに整備されていました。
今の時季は斜面のアジサイが迎えてくれます。
駐車場の横から、小高い山の中腹をグルリと回って、丁度反対側が馬の背に当たります。
手前の深く切れ込んだ柱状節理は、身を乗り出すと吸い込まれそうな断崖絶壁になっていてすごい迫力です。
ここまでは昨年も訪ねました。
しかし、実はそれより先、つまり海に突き出た「馬ヶ背」を陸から行くのは今回が初めてです。
前述のように海上からは幾度となく目にしていますが、自分の足で踏み入れるのは今日が全くの初めてです。
断崖のように切れ落ちた馬の背中状のわずかの岩場の両脇に手すりが設けてあり、観光客はその遊歩道に沿って先端まで行くことが出来ます。
最近はテレビのドラマやサスペンス劇場などでよく目にするおなじみの光景ですが、日曜日でもあり、訪れる観光客の多さにビックリしました。
昔は釣り人しか訪れない淋しい所だったのに・・・。
十年一昔と言いますが、遠く昔を想い感慨に浸りました。
 馬ヶ背入口
馬ヶ背直下の海

柱状節理

日本一柱状節理

歓声挙げる客
ところで、今日の行動予定をはじめに記しました。
つまり、大潮と言う自然条件に恵まれ日向市のサンパーク温泉下の「フクトヶ浦海岸」で神秘的なフグの産卵の様子をカメラに収めるつもりでいました。
ところが、30分、1時間、1時間30分と待ち続けましたが、とうとうフグは現れませんでした。
近くにいた、やはり産卵の様子を見にきた地元の人に聞きましたところ、10回来て1回でも立ち会えればラッキーと話していました。
それだけ自然は神秘に包まれているのでしょう。機会があればまた、挑戦したいと思います。

温泉下遊歩道

フクトヶ浦

フクトヶ浦
都農町矢研の滝と尾鈴渓谷
 2009年5月31日(日)、早いもので5月も終わり、間もなく雨のシーズンを迎えます。
5月の休みはすべてウォーキングに費やしました。
5月最終月末の今日は宮崎県中央部に位置する都農町の尾鈴山の麓を歩きました。
尾鈴山と言えば滝で有名な所です。
2~3日前の嵐でかなり雨量がまとまり迫力ある滝の写真が撮れると思いましたのでこのコースを選びました。
過去何度か訪ねていますが、大方は尾鈴キャンプ場に車を停めて、そこから歩いて20分弱ほどのところにある矢研(やとぎ)の滝を観に行き写真を撮ると言うパターンです。

都農町矢研の滝

都農町名貫川渓谷

都農町名貫川渓谷

都農町名貫川渓谷
尾鈴山系には30もの滝があると言われていますが、ヒザの状態が万全ではないため、恥ずかしながらまだ高地の瀑布群には到達していません。
今回も目指すは矢研の滝です。
ただ、今までと違うのは歩く距離です。
キャンプ場の駐車場に車を停めると、わずか20分弱のウォーキングで滝に着いてしまいます。
この日は、広域農道から尾鈴山への入口付近に「矢研の滝9km」と言う標識がありますが、その周辺に車を停めました。
ここからですと、滝までは2時間あまりかかるはずです。
しかも、最初のところを除けば大半は上りが続きます。
これだと十分私にとってのウォーキングになります。
ここでも歩くことによって新しい発見がありました。
滝を形作っている名貫(なぬき)川の渓谷をじっくり堪能することが出来ました。

名貫川渓谷

名貫川渓谷

名貫川渓谷

名貫川渓谷

名貫川渓谷

名貫川渓谷

名貫川渓谷

名貫川渓谷

名貫川渓谷

名貫川渓谷
尾鈴山までの道は狭く、車ですと駐車スペースがありません。
しかも道の両脇は雑木がうっそうと茂り、車からでは渓谷を観るのはほんの限られた地点のみです。
徒歩でも木々にさえぎられて大部分は見えにくいのですが、そんな中でも素晴らしい渓谷美が目に飛び込んだりします。
名貫川は、尾鈴山に源を発し、太平洋に流れ込んでいます。
その距離わずか20kmあまり。非常に短い川です。
尾鈴山は1400mを超える県内では比較的高い山に属します。
しかも、この高さの山では、一番海に近いところに位置しています。
尾鈴山の周辺一帯は県南の日南市深瀬地区と並んで雨の多いことで知られています。
特に夏場は、他のところは天気がよいのに都農町や、南隣の川南町を車で通ると良く雨に遭遇します。太平洋で水蒸気を大量に含んだ東よりの風が、この山地にぶち当たると、山の東側に沿って雨を降らせます。
つまり、尾鈴山が高いカベとなっている訳です。
名貫川もその恩恵を受け、小さく短い川ではありますが、キレイな清流となって海まで注いでいます。
そんな水量豊富な山系ですので、各所で湧き水があることに気づきました。
一つの湧水を手ですくってみると、なんと冷たいことか。
湧き水の奥には仏像が安置され、小さな小皿には小銭がたくさん奉納されていました。
丁度、宮崎からきたと言うご夫妻がポリバケツ10個にその湧き水を入れていました。
10年以上通っているそうで、物凄く美味しい水と話していました。
ところで川ですが、ここ2~3日の雨で、せせらぎと言うよりも轟音に近い流れです。
上へ上るに従い、川の位置が下へ下へ遠ざかっていきますが、川音だけは変わらず聞こえてきます。
約2時間ほどで、尾鈴キャンプ場につきました。
この周辺は森の遊学館と名付けられていて大木が悠然と天に向かってそびえています。そのキャンプ場のど真ん中に宮崎県の「森の巨樹100選」に指定されている大モミノキがあります。

大モミノキ

大モミノキ

尾鈴キャンプ場

大モミノキ

大モミノキ
高さ25m、幹周りが4m25cm、根元には仏像があり、山の氏神様として祭られていました。
キャンプ場のすぐそばには、名貫川の支流が流れていています。
今の時季はそんなに訪れる人も多くありませんが、車で簡単に来られる上、バンガロウや炊事設備が整っていて、夏休みには家族連れなど多くのキャンパーが訪れる都農町の観光名所であります。
矢研の滝はこのキャンプ場を突っ切っていきます。
約20分弱の道のりです。
大半は上りが続いていていますが、比較的なだらかで、しかも足元は落ち葉で埋め尽くされていて歩きやすい道です。
しかし、最後の5分は、起伏が激しく足元も岩がゴロゴロしていて歩きにくい形状です。
ロープや階段それに看板が多数設置してあり、事故防止策が講じてありますが、このところの雨でまだ足元が濡れていて非常に滑りやすく細心の注意が必要です。
そんな急峻の道を下り河原に下りると、前方に滝が全容を現します。
以前、来た時には川を渡るところが非常に滑りやすかったのですが、写真のように木で造った橋が渡してあり、スームズに対岸へ行くことが出来ました。
これは非常に有難いですね。

若葉の滝

若葉の滝

渡し板

矢研の滝

矢研の滝

矢研の滝

矢研の滝

矢研の滝

矢研の滝

矢研の滝

尾鈴山見取図

滝への道

尾鈴キャンプ場

矢研の滝

矢研の滝
そこから約5~60mのところに滝が水しぶきを上げて落ちています。
これが「日本の滝百選」の一つにも選ばれた矢研の滝です。
神武天皇が東征の折、この滝で矢を研がれたと言う伝説がこの滝の名前の由来です。
落差は73mで河原から全容をはっきり見渡すことが出来ます。
この日は、前述のとおり雨の影響が残っていて岩が濡れていて滑って滑って非常に危険な状態です。
ですから、滝つぼまでは行くことが出来ませんでした。
この尾鈴山系には30余りの滝があり尾鈴瀑布群と言われています。
丁度キャンプ場下流辺りで名貫川が幾筋もの支流に枝分れしていてそれらの上流域に瀑布群が点在しています。
いつもですと、滝の上まで行くところですが、この日はこれで打ち止め。
帰りも往きと同じ道で物足りませんが、下りが続く舗装された道を一歩一歩踏みし、周りの景色を楽しみながら車へと急ぎました。

初夏の日南海岸を歩く
 2009年5月23日(土)、初夏の日南海岸は年間を通して一番花々が輝き、南国宮崎にピッタリの季節です。
ここのところ山間部ばかりを歩いていましたので海が恋しくなりました。
たまには海岸部を歩こうと、宮崎市南部から日南市にかけて広がる日南海岸国定公園を目指しました。サクラの時季が終わってまだ2ヶ月も経っていませんが、海沿いの道路は随分彩りが華やかになっています。
ハイビスカス、アメリカディエゴ、ブーゲンビレアなど赤色、黄色、紫色と、目に染みる原色系の色を付けた花々が咲き誇っています。これからが見頃を迎えます。
堀切峠の南に位置する「道の駅フェニックス」に寄ってみました。

道の駅フェニックス

ブーゲンビレア

ノボタン

日南海岸

日南海岸

日南海岸

サボテンの花

真っ赤なハイビスカス

ピンクのハイビスカス
 ここは日南海岸の代表的なビューポイントであるととともに、たくさんの花々が咲くことで有名です。
展望台下の海岸部一帯と、西側の小高い山の斜面にはたくさんの花木が植栽されています。
ブーゲンビレア、アメリカディエゴ、ベニチョウージ、マルハビスカス、ランタナ、ノボタンなど原色系の花々が、鮮やかに咲き誇っていました。
その中で、今年初めて観ましたが、オーストラリア原産のフトモモ科・メラレウカの真っ白い真綿のような花がひと際異彩を放っていました。
「道の駅」敷地には、ヤシ類や亜熱帯性の木々がたくさん植栽され南国情緒を醸し出しています。
淡い紫色の花を付けるジャカランダは、場所によっては花が咲いていますが、ここの樹はもう少し先でしょうか。
涼しげな紫色は目に優しく観ていると心が癒される花木です。
このジャカランダ、もともとは南アメリカが原産で、アメリカのマイアミやリオデジヤネイロ、南アフリカのプレトリアなど、亜熱帯の大都市では樹齢100年を超す巨木が街路樹として道の側道に何キロにも渡って植栽されています。

我国ではとてもかなわない圧倒的な迫力を目に焼き付けることが出来ます。
と言っても私は、米国のフロリダでちょっと観ただけですが・・・。
日南海岸を下って、日南市南郷町の「道の駅なんごう」を訪ねますと、背後の丘に広がる「宮崎県亜熱帯作物支場有用植物園」の一角に「ジャカランダの森」が造成されていて、花咲く時季にはジャカランダ祭りが催されています。

フェニックス

ブーゲンビレア

ブーゲンビレア

ブーゲンビレア

メラレウカ

メラレウカ

メラレウカ

ノボタン

ノボタン
伊比井海岸 伊比井海岸 富土海岸 いるか岬 海は夏色

サボテンの花

サボテンの花

サボテン園跡

サボテン園下

サボテン園下
 海は波がなく穏やかで、岩場では多くの釣り人が糸を垂れています。
以前は、私も日の出前から頻繁に通った見慣れた磯場ですが、最近はとんとご無沙汰。
たまに出かけても餌取りの小魚ばかりで目指す獲物と対面することは至難のワザです。
それだけ自然が枯渇してきているのでしょうか。
勢い磯場から足が遠ざかる結果となっています。
しかし、根が海好きなので雄大な太平洋を見ているだけで、日頃のストレスを発散することが出来ます。この日は、日南海岸の真っ只中に位置する伊比井と言う集落の海岸部に車を置き、南へ向かって国道218号、通称フェニックスロードを南下しました。
この辺りの海岸線は、リアス状に入り組んでいてとても風光明媚なところで、ドライブには最高の場所です。
それだけ車の量が多い反面、歩道は雑草が茂り、手入れが今ひとつの感があり歩くには少々不便です。
ただ、海岸線の素晴らしい景色は、ドライバー同様共有することができます。
と、言うより車に乗っていますと、運転したり、高速で通り過ぎたり、道路直下部分が見えなかったりと、美しい景色をゆっくり堪能することはできませんが、徒歩は徒歩ならではの目線でじっくり海岸線を味わうことが出来ます。
宮崎市から日南市にかけてのこの海岸線は出たり入ったりの変化を繰り返しながら続いていますが、集落は岬の付け根部分に点在していて、先端部はゴツゴツした岩で覆われています。
反対に入り江はキレイな砂浜の海岸線と、変化に富み観ていて飽きることがありません。
車を置いた所から南へ向かって最初の集落が富土とです。
ここも入り江の奥に民家が集中しています。
南側はズーッと太平洋に突き出していて、その先端部には、以前サボテン公園がありました。
その半島をグルリと回ったところが宮浦地区です。
それぞれ小さな漁港があり、どの港も特に9月以降は伊勢エビ漁の時機を迎え、水揚げされた伊勢エビは関東、関西方面に出荷されたり、地元では旅館、ホテル、食堂などで「伊勢エビ祭り」と銘打つ企画が催され、安くて獲れたての伊勢エビを腹いっぱい食することが出来ます。
車の所からスタートして2時間半、前方に、洞窟の中に社があることで有名な鵜戸神社のある岬が見えてきました。

宮浦海岸

鵜戸手前海岸

鵜戸手前海岸

鵜戸手前海岸

鵜戸手前海岸

ハイビスカス

ハイビスカス

ハイビスカス

ブーゲンビレア

鵜戸神宮入口
 今日はこの神社まで行く予定でしたが、少し時間的に無理なようです。
途中の景色やキレイな南国の花々を楽しみ過ぎて時間をロスしてしまいました。
岬の付け根には長い長い鵜戸トンネルがありますが、その手前で引き返すことにしました。
片道13kmほどですが、歩いている最中、岬の先端からは、北を見れば遠く堀切峠が、南を見れば鵜戸神宮を抱く岬が見えていますので、目印には都合が良いのですが、岬の先端から付け根の入り江まで歩いてまた次の先端を目指す、湾を隔てて次の先端部が目の前に見えているだけに、歩く分には精神的にかなりハードなコースです。
そんなこんなで約5時間チョットのウォーキングを終えて帰路に付きました。
この1年間、何回か日南海岸を歩き、これで北の入り口に当たる堀桐峠から南の出口の日南市風田までが徒歩で繋がりました。

宮崎県北・諸塚村の奥地散策
 5月18日(月)、先週の金曜日に九州山地の真っ只中・椎葉村の南部地区を歩いたばかりですが、今日は、また九州山地に分け入りました。
今回は宮崎県北の日向市から国道327号線で入郷と言われる旧東郷町、旧西郷村を経て諸塚村まで走り、同村の奥地を歩きました。
先週もそうだったのですが、まだ足を踏み入れてない地域はだんだん山間部になってきて、それとともに車で目指す所に到達するまで時間がかかるようになります。
これまでのように朝方グズグズしていると、時間が足りなくなり、仕方なく近郊の「いつもの所」で、お茶を濁すことになります。
気合を入れて一度動き出せば、こうやって遠くまで来ることが出来ます。
諸塚村はこの4月時点で人口1859名、人口密度は一平方㌔メートル当たり10名弱の過疎と高齢化が進む山あいの村です。
いままで何度か来たことはありますが、国道沿いの知り合いのお宅に寄る程度で枝線や脇道に入ることがなく、ほんの幹線に沿った一部分しか知りませんでした。

柳原川の清流

柳原川の清流

柳原川の清流

ケヤキの巨木

諸塚神社

ケヤキの巨木

立岩十一面観音像

立岩小学校跡

諸塚ダムとダム湖
 この日は、町の中心部と高千穂を結ぶ県道50号線を歩くことにしました。
道路と平行して流れている柳原川沿いにしばらく走ると、ダムが見えてきます。
諸塚ダムと言う中程度の大きさでかなり前に建設されたダムのようです。
案内がないので詳しいことは分かりません。
途中の道は山が川に迫り、対向車が来ると離合が困難な狭い道が続いていたのですが、ダムの上流部に出ると比較的広々とした道がダム湖に沿って続いています。
そんな一角に車を停めて上流を目指しました。
ダム湖の周りは高い山が連なり、若葉が青々と茂り頭上は緑のトンネルです。
細かい地図を見て来なかったので行く先に何があるのか、民家はどれほど先にあるのかなど全く分かりません。
まぁーこれがいつものペースでしょうか。
ただ、かなりの奥地ですので山の中に入り込んだり、舗装されていない草の生い茂ったような道は歩かないなど、最低限のルールは守って万一の場合を想定して行動しています。
ダムがそんなに大きくないのでダム湖もいつしかせせらぎに変わりました。
ほどなく川も道と平行して流れるようになりました。
大きな岩石がゴツゴツした勇壮な渓谷の感じはしません。
どこからでも下りられるような、静かな流れで、ちょっとした深みにはアユが群れているのが見えます。
流れの急なところにはヤマメもたくさんいそうです。
歩き始めて40分。やっと人家が見えてきました。
道も、そこで二手に分かれています。
分岐点には標識がたくさんあり「森の学習館」・「しいたけの館」・「諸塚神社」などなど結構賑やかです。右手に行くとそれらの施設がありますが、かなり道が上っています。
左に行くと県道50号線で「諸塚神社」があり、その境内には「宮崎県の巨樹100選」に指定されているケヤキの木があるとのことでしたのでここは迷わず左折しました。
丁度、この分岐店辺りに民家が2~3軒と公民館か集会場でしょうか1軒建っています。ちょっとしたマチの雰囲気です。
柳原川もここで分岐していて、左の方が主流のようで川幅も結構広く保っています。
水は浅く流れも緩やかですが、まさに清流そのものと言った感じです。
諸塚神社にはそこから1、5kmほどで到着しました。
神社の周りには、5~6軒の民家が並んでいます。
所々、屋根の中央部が高くかさ上げされてエントツが何本か立っている家屋がありますが、恐らくしいたけの乾燥小屋でしょう。
この辺りの山林をのぞくとシイタケ用のホダ木をたくさん見ることが出来ます。しいたけは諸塚村の主産物です。
まず、神社の境内に上がりましたが巨木はどこでしょうか。
鎮守の森には杉やモミ、カヤなどの大木が多く茂りどの木がケヤキかはじめは分かりませんでした。
よーく見ると、境内の裏手に天を突き刺すように立っているひと際高い木がありました。
多分、これが100選に指定されているケヤキの木なのでしょう。
案内板がありませんので、ちょっと分かりづらい気はしますが・・・・・。
高過ぎて全体像をなかなか撮ることが出来ません。
真下から見上げると、先端が見えません。
ギリギリ後に下がっても上から下まで全部が入りません。
それだけ大きくて高いと言うことです。
村役場のホームページの紹介を見ると、幹周りが6、4m、高さが30m、樹齢が推定約400年と書いてありました。
同村のHPにはほかにもスギやカゴノキ、トチノキなどの大木が紹介されています。
雨量が多く自然がそれだけ残っていると言うことでしょう。
写真を撮り終え県道をもう少し歩いて見ることにしました。

柳原川の清流

柳原川の清流

柳原川の清流

柳原川の清流

柳原川の清流

ケヤキ巨木

ケヤキ巨木

ケヤキ巨木

ケヤキ巨木

ケヤキ巨木

立岩小学校跡

立岩小学校跡

立岩小学校跡

立岩小学校跡

立岩小学校跡
 ひとカーブ曲がるごとに民家が数軒ずつ建っています。
山手に折れる急坂の道を上ると小学校がありました。
「えらい静かだな!今日は休みなんだろうか・・・・?」
建物はそんなに古くはありませんし、校庭も少し草は生えていますが広々としています。
体育館もありその横のプールには水が張ってあります。
しかし、どうも変な感じです。
首をひねりながら学校を離れました。
と、1軒の家からテレビの音が聞こえてきましたので寄ってみました。
すると意外にも20台半ばの若い女性が乳飲み子を抱いて応対してくれました。
尋ねましたら、この辺りは七ツ山の立岩と言う地区で昔は多くの人々が住み林業や炭焼き、シイタケなどを作って生計を立てていたそうです。
小学校がすぐ横にありましたので聞いてみますと、3年前の平成18年3月に廃校になったとのことでした。不思議だったのはプールに水が溜まっていたこと。
聞いてみましたら、プールは坂の途中にあり、雨の時山を下ってきた水が自然に溜まったと言うことで納得しました。
ちょっと見ただけでは、今にも児童が教室から飛び出してきそうな、まだ廃校したとは思えないほど手入れがされています。
これも不思議に思いましたが。公民館の壁に貼ってあったポスターで納得しました。
つまり、学校には備品や児童が描いた作品などが今も展示されていて、建物もイベントなどで使用されていると言うことです。
壁には「森のアートハウス展」や有名写真家を呼んでの撮影会が開かれた時の様子が紹介されていました。
また、体育館は床が張り替えられ地区の人々がミニバレーなどをしているとのこと、確か校門には昭和60年竣工と書かれていたと思います。
まだ出来上がって20年ちょっとしか経っていないと言うことですから、使わないともったいないです。
廃校時の児童数は8名で、廃校式のときは卒業生、地区の住民、携わった先生などたくさんの人々が集い(廃校を)惜しんだそうです。
ところで、若奥様に、こうして県内を歩きながら写真を撮っていると話しますと、「すぐ近くに十一面観音像があるから案内します。」と私をその観音像が安置されている山の上り口まで案内してくれました。
急な坂道なのに子供を抱いてです。
なんと親切なんだろうと感激しました。
十一面観音像のある上り口には案内板がなく、案内してもらわなかったら、他所(よそ)の人間にはまず分かりません。
入り口から雑草をかき分け進むこと約50mほどでしょうか。

甲斐若狭守社

甲斐若狭守社

甲斐若狭守社
下の段に若狭守社と書かれた社がありその上方に板で囲った簡易の建物があり、観音像はその中に7体鎮座していました。

立岩観音像

立岩観音像

立岩観音像

立岩観音像

立岩観音像

立岩観音像

立岩観音像

立岩観音像

立岩観音像

像安置建物
十一面観音像
 十一面観音については、諸塚村教育委員会などが発行している「かたりべ」の中で、甲斐誠氏が紹介していますので抜粋して引用します。
立岩の十一面観音、旧立岩小学校の上の森の中に鎮座しています。
十一面観音像はいずれも木像で四体あります。
十一面観音とは密教系の尊格で奈良時代から信仰を集め、病気治癒などの現世利益を祈願して多く祀られています。
十一面観音はその深い慈悲により衆生から一切の苦しみを抜き去る功徳を施す菩薩であるとされ、女神のような容姿に造られたものが多く見られます。
頭部正面に、阿弥陀如来の化物(けぶつ)をいただき、面頭上の正面側に菩薩面(三面)、左側(向かって右)に瞋怒面(しんぬめん三面)、右側(向かって左)に狗牙上出面(げじょうしゅつめん三面)、拝観者からは見えない背面に大笑面(一面)など、人間の喜怒哀楽を表現した面を乗せ、右手を垂下し、左手には蓮華を生けた花瓶を持っている姿のものが多くあります。
観音菩薩の中では聖観音に次いで造像は多く、救済の観点からも千手観音と並んで観世音菩薩の変化身の中では人気が高いものでした。
中央にある最も大きい木像の光背の裏書に天正六年(1578年)と墨で書かれています。
天正六年といえば、島津氏の北上圧力が強まって前年に伊東氏が豊後落ちし、延岡、日向、門川で島津氏と大友氏の小競り合いが頻発して11月には耳川で激突する大事件のあった年です。
騒乱が続く中で十一面観音に救いを求めたのではないかと推察できます。
この頃立岩に居住していた有力者といえば、甲斐若狭守です。
十一面観音は、諸塚村内では、弓木、八重の平、七ツ山本村、奥畑にあり、八重の平のものが最も古く天正四年(1576年)の墨書きがありますが、立岩のものは他にない独特の様式をもっています。
木や石で造られた手形、足形、耳形、乳房形などが百ほども供えられているのです。
こうした様式は村内はもちろん宮崎県内には例がありませんが、同様な様式が熊本県内にはいくつかあって「足手荒神」と呼ばれています。
その大元は熊本県嘉島町にある甲斐神社で手足の病気にご利益があると言われています。
甲斐神社には戦国時代の武将で、嘉島町に隣接している御船町にあった御船城の城主・甲斐宗運・宗立父子が祭られています。
この神社では絵馬の代わりに、「手形」、「足形」の木の板に名前を書いて奉納しますが、前述の如く立岩の観音にもそのような手形、足形などが奉納されています。
立岩に住んでいた甲斐若狭守親基は宗運の弟で、宗立からは叔父にあたります。
熊本の足手荒神のご利益を耳にした若狭守自身が足手荒神の信仰を持ち込んだのか、そうした事情を知る当時の立岩の住民が持ち込んだのかはわかりませんが、いずれにしても熊本の嘉島町から遠く離れたこの地に伝えられ、人々の信仰を集めたのは間違いありません。



山また山

山間の集落

乾燥小屋跡

ミツバツツジ

ミツバツツジ
宮崎の県鳥コシジロヤマドリ

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