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JR日豊線「にちりんシーガイア」

 
JR九州も昭和62年4月、中曽根内閣の国鉄民営化方針によって発足した鉄道です。
2004年3月にJR九州は、鹿児島―新八代間に新幹線を開業させました。

これにより九州の中心福岡から鹿児島まで3時間40分かかっていたものが、約1時間30分短縮されて2時間10分程度で結ばれました。

山陽新幹線も含め長崎新幹線の建設など、JR九州も福岡を中心に九州の西半分が発展の大きなウェートを占め、私が居住する宮崎や大分などの東九州は全ての面で大きく立ち遅れています。


ただ、九州新幹線にしても新八代―博多駅間の開業は4年後の2010年で、現在は新八代で乗り換える暫定開業で不便さはぬぐい切れません。

4年後、この路線が全線開業すれば鹿児島中央駅と博多駅間が1時間10分で結ばれることになります。
   

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 JR九州としては初となる新幹線の開業は沿線に大きな影響を与えました。
初年度は鹿児島中央駅の乗降客数が顕著に伸び、鹿児島市内への観光客も大幅に増え「新幹線開業景気」に、大いに沸きました。指宿、霧島や知覧の特攻平和会館などにはたくさんの人々が訪れました。
 
しかしながら、観光客の訪問先は終着・鹿児島中央駅からの距離に反比例して遠くなればなるほど、うま味が薄れていくのは致し方のないところです。
 

 突然ですが、宮崎県延岡市の大瀬町児童公園に展示してあります旧国鉄の花形蒸気機関車D51について触れます。

補修中のD51485

補修中のD51485


 上の写真は、九州小倉で生まれ、昭和23年に南延岡機関区に配置されたデゴイチであす。主に日豊線の南延岡・大分間で貨車を牽く貨物列車として活躍していました。
そして昭和49年4月24日のサヨナラ貨物列車を引いたのもこのD51でした。まさに旭化成に代表される工都延岡を支えてきた蒸気機関車なのです。
 全国で1115両製造されたデゴイチのの中でこのD51485号機が、工都延岡の地に保存されていることには、国鉄南延岡機関区で蒸気機関車に携わっていたOB会組織・蒸気機関車保存会の熱心な保存活動があったればこそです。
 昭和49年サヨナラ貨物列車を牽いて現役を引退、この大瀬町児童公園に展示されることになりました。
 この児童公園ですが、元々は旭化成社員の社宅・永池アパートがあったところでこれも何かの因縁を感じます。
 さて、児童公園に展示されたD51ですが、きれいに化粧を施し子供たちの人気ものになったのは言うまでもありません。
 戦中戦後、数多くの蒸気機関車が製造され各地で活躍しそして消えていきました。
D51は、展示されてからずーと天井は青空で時が経つにつれ、老朽化が進み所々に穴が開くなど、このまま展示すればいずれ撤去にもなりかねないと、「保存会」が立ち上がり、平成14年念願の上屋がつきました。
 「これで一安心」と、思った矢先今度は、機体に多量の有害物質・アスベストが含まれていることが分かりました。アスベストは社会的にも問題になっている物質で、展示場所には多くの子供が訪れることから今度こそ撤去の憂き目に遭うのではと、心配されました。
 しかし、壊すのは簡単(金はかかりますが)だが、もう2度と作ることは出来ない。九州全体を見渡しても、D51が残っているのは10台にも満ちません。
 延岡市もこの事態を重く見て解体撤去にゴーサインを出さざるを得ませんでした。
 しかし、ここでも蒸気機関車保存会の皆さんが立ち上がり、保存のためのアスベストの除去費用捻出のため市や広く一般市民に呼びかける地道な活動を展開した結果、アスベスト除去のメドが立ちました。
 そして、現在上の写真のように修復を兼ねて作業が急ピッチで進んでいます。
2007年3月下旬には、塗装も新しくピカピカのデゴイチが蘇る予定です。
 2月25日には、永久保存を記念して保存会の会員が持ち寄った機関車の部品や運転日誌などのチャリティー競売会が行われました。下の写真はその時の出展の品々です。
 2007年4月1日、新しく生まれ変わったデゴイチのお披露目式が延岡市の大瀬児童公園で行われました。
 当日は、保存会の皆さんをはじめ、延岡市の首藤市長やたくさんのSLファン、子供たちが参加して序幕式が行われました。これで念願の永久保存が実現、歴史の中で栄華を誇ったSLの時代は終わりましたが、往時をしのび、当時を知らない子供たちが現物に触れ、関心を持ってくれたり、その雄姿をいつまでも見ることが出来るのはこの上ない喜びであります。

石炭スコップ

点検金鎚

制御レバー

バルブレバー
 D51永久保存記念チャリティー競売会には、旧国鉄で実際に蒸気機関車に乗務していたSL保存会のメンバーがそれぞれ自宅に保管や放置?していた部品や蒸気機関車にまつわる品々を持ち寄り開かれました。車輪や枕木、線路など大型のものはなかったですが、下の写真のような大変貴重でマニア垂涎の品が並んでいました。中には前日から泊り込んでこの日に備えた北九州からのSLファンや宮崎から駆けつけた中学生3人組など、午後1時からのオークションには、雨にも関わらずたくさんのマニアが集まりました。写真の一品一品を説明していきますが、会場に参集した保存会のメンバーに聞きましたが、メンバーの方もはっきり分からない部品もあり、ここは独断と偏見の交じった紹介ですので、その点はお許しください。
上の写真の左のスコップは、正式には、投炭ショベル・片手用(ワンスコ)と言います。車体に積んだ石炭をボイラーに投入するスコップでこの品は比較的小型です。日豊線ではC12やハチロクと呼ばれた中小型のSLで使用されたものです。2番目の金鎚は、点検ハンマーと言います。運行前、このハンマーで車体を叩いていきます。いつもと違う音を聞き分け異常を発見します。ベテランになるとSLの隅から隅まで分かっていてどこをどう叩けば良いか全て頭の中に入っていたと言います。真ん中は、ブレーキ制御用レバーと思いますが、似た形で砂まきハンドルがあります。右端は居合わせた国鉄OBも頭をひねっていました。近い内に父か弟(父はSL機関士、弟はJR職員です。)に聞いてみようと思っています。


勾配ゲージ

蒸気調節器

作動キー
乗務員腕章
これらの写真の品々も普段見かけることのない貴重な、マニアとしては所有したい部品でしょう。OBの説明によりますと、左端は、勾配用ゲージと言いまして、機関車が急勾配を上る時、タンク内の水の位置がどのくらい傾き、下方によっているかを測定するゲージだそうです。勾配がきつければ水量を調節しなければ、ボイラーの水のない所は熱で傷んでしまいます。ベテランになりますと、日豊線のほとんどの勾配は知り尽くしていてゲージは参考程度に見ていたとのことです。2番目は、正式には内火室最後部移変表示板と言います。この型は形式D51仕様です。
要するに蒸気の比重を計るゲージで、発車する時や急勾配を上る時は、このゲージの針が90%近くまで上昇します。平坦地を走行する時は20〜30程度です。よく見かける山間地を真っ黒な煙を吐いて上っている時にはこのゲージが最高値を示しています。3番目鍵が付いていました。実際のところわかりません。これも分かり次第紹介します。右端は、機関士の腕章です。小さい時は父の腕章を見て憧れたものです。

運転教則

運転教則

運転教則

運転教則
 上の写真は蒸気機関車の機関士になる時の教科書です。初めは機関士見習いすなわち機関助手として機関士とペアで蒸気機関車の仕組みを実地に学びます。と同時にこれらの教科書を理解して一人前の機関士になっていきます。運転法規、運転理論、運転取扱基準規定など日本国有鉄道が監修した教則本です。中を開くと専門用語や専門的な知識がぎっしり詰まっていて、読むだけで頭がどうかなりそうです。機関士になるのも並大抵のことではないと今頃になって理解した次第です。

記念品
携帯電話器
D51設計図

D51設計図
 次に移ります。これらの写真は、左から2番目の携帯用電話器が本物で左端は、本物か記念品かはっきりしません。右の2枚の設計図ですが、D51のものでページ数は20を超えています。非常に精巧に出来た設計図で上の方に、形式D51と書かれていますが、これも本物かどうかわかりません。もしかすると、この児童公園に展示してあるデゴイチの解体修理用のものかもしれません。
 ただ、携帯電話器は実際に使われていたものです。2台を繋いで通話の実験をしていましたが、今でも十分使える代物です。機関車には常備されていて、何か事故があったり、線路上に木が倒れたり、上から岩が落ちてきたりと、万一の場合は、電話器の右においてあるコードを線路沿いに走っている電線に繋いで、列車指令と連絡が取れるようになっています。特に、日豊線の延岡ー大分間は大部分が山間部で、もしもの時の連絡はこの電話器なしでは、何時間もかかってしまうほど、線路沿いに民家がない所がたくさんあります。出番も多かったことと思います。
記念品
乗務員日報

乗務員日報

乗務員用時刻表
 左端は、昭和47年鉄道開通100周年記念に作られた記念品でD51の動輪がモチーフとして使われています。本物の10分の1の大きさです。確か実家にもあったような気がします。真ん中2つは南延岡から大分までの乗務員日報です。出勤時間、退勤時間から乗務の時刻記事欄として点検事項や確認事項が記されています。比較的新しい平成に入ってからのものと思われます。記事欄を紹介します。
2062(列車番号)南延岡留入れ 仕分4番線の車両を生かし点検。貨物5番線直り通話テスト。3番線列車に注意。
33大分出入ム。 10番線の車両を出区点検。通話テスト。 6時50分頃から、通路線上がって日豊線引き上げ4番線直り。

748M   延岡3番線上り方にて乗継ぎ。折返しスイッチ整備を確実に。
2752M  南延岡3番線2753M着機をマル転解除。
      大分5番線着後、エンド交換折返しスイッチ整備を確実に。回送2752Mとなるので下      り方にて(22時17分)乗継指定 
2062や33、748Mなどは列車番号です。専門用語が入っていますので、素人には分かりづらい記事欄です。
右端は日豊線と高千穂鉄道の乗務員用時刻表です。これらの時刻表や乗務員日報などは、南延岡施設撤去の際、記念にと持ち帰ったものと聞いています。    

信号機位置図

C57雄姿

D51宗太郎峠

南延岡機関区

 上の左端の地図は、当該機関士の列車運転区間の信号機位置の確認地図です。駅や線路上のどこにどんな信号があるか、詳しく載っています。運転士はこれを見ながら信号の確認をしたそうです。次の写真からは蒸気機関車の雄姿を紹介します。児童公園のチャリティーで手に入れたものです。C57とD51だけですが、C57は貴婦人の愛称で親しまれていました。昭和30年代の後半は宮崎から急行「高千穂」を牽いてきて、南延岡でDLにバトンタッチしている姿が今でも脳裏に浮かびます。D51は主に貨物を牽いていました。延岡には旭化成の工場群があり毎日製品や原材料を牽いてきていました。また、日之影線や細島線と言った支線がありこれらの線区にはC12かC11の小型機関車が走っていたと記憶しています。
下の写真もC57とD51です。蒸気機関車は、やっぱり真っ黒な煙を思い切り吐く光景が一番絵になりますね。ところで上の右端は、国鉄南延岡機関区です。扇形車庫と転車台がありいつも見に行ってました。機関区内には職員専用の風呂があり蒸気が常に上がった熱い風呂に、毎日入りに行ってました。もちろんお金は要りません。タダひとつ悩ませられたのは、自宅が機関区と100mと離れていなかったので、東風が吹くとばい煙が飛んできます。大量に吐き出している時など、煙が目に入ると痛くて痛くてたまらないそんな思い出があります。また、あの煙のにおいを嗅ぐと昔のことを思い出します。


C57勇姿

D51勇姿

レプリカ

 
 博多駅までの全線開通までの間、今後、時が経つにつれてブームが去っていくのをいかに抑えるかが地元やJR九州の知恵の絞りどころだと思います。

また、開業と同時に、平行して走る旧鹿児島本線がJR九州から分離し、「第3セクター肥薩おれんじ鉄道」として発足した沿線の市町にとっては、利用客の落ち込みや不便なダイヤなど負の影響が今後の大きな課題として残っています。

宮崎県でひと頃言われたフレーズが、「北は夕暮れ、南は日の出」・・宮崎県北部地区は、高速道路がなく、空港がなくおまけに線路は、単線未電化。

そんな時代が長く続き陸の孤島と呼ばれていました。都会への唯一の交通手段は、鉄道でしたが大分県境の宗太郎峠を克服することが出来ず、今は電化は完成していますが、複線化は不可能、まして新幹線など夢のまた夢です。

上のフレーズで揶揄されていた宮崎県北部地区ですが、その通り衰退の一途を辿っています。人口は、最大13万7千まであったのが、4年生大学が誘致されても現在は、1万人以上減って12万1千です。もちろん、旭化成の機械化に伴う人員削減や県外流失が大きな影響を与えているのは確かです。

現在、やっと大分県と結ぶ高速道路の具体的工事が動きだしていますが、全て完成までには、今後10年は見なければなりません。

もっとも、南の日の出もままならず、シーガイアの倒産や宮崎交通の産業再生機構への移管をはじめ、陽が上ってこないのが現状です。

今年初め県知事に就任した東国原英夫氏も「宮崎をどげんとせんといかん」「なんとかせんと」「宮崎は変わらんといかん」と、低迷から脱出できない宮崎の危機を訴えています。

現在、宮崎から福岡に行く場合、JR九州を利用しますと「にちりんシーガイア」を除く特急電車の場合、大分でスーパーソニッックに乗り換えなければなりません。非常に便利が悪いんです。鹿児島から福岡へ行く場合の八代で乗り換えるのと事情が違います。

宮崎県の鉄路は山間部やカーブが多く、スピードを上げる場所が限られています。わずかに宮崎・延岡間は線路の整備が進み、スピードアップが可能となりましたが、その他の地区は昔とほとんど変わらない状態が続いています。

JR九州も今は、民間企業です。いくら公益性が高いと言っても採算を度外視して、日豊線に金をかけるはずもありません。だから、今は「東は夕暮れ、西は夜明け」と、宮崎人として自嘲ぎみに言っておきましょう。

JR九州の中期経営計画によりますと、今後、新幹線と在来線を組み合わせた快適で便利な鉄道ネットワークを整備し、近い将来の株式上場に値する経営基盤づくりを目標に、「安全と信頼」、「地域に貢献」、「感動の共有」を掲げ、九州全体に鉄道ネットワークを有する企業としての自覚と責任を持ち、「安全をすべての事業の基本」として、「ゆたかな九州創りに貢献し、お客さまと感動を共有する信頼される企業グループ」を目指すと記されています。

素晴らしい謳い文言ですが、私たちが住む九州東側半分にも「快適で便利な鉄道ネットワーク」を、構築してもらいたいものです。

宮崎県内を走っているJR九州の路線は、日豊本線、日南線、宮崎空港線、吉都線、肥薩線の5路線です。その中で県を南北に縦断する日豊本線が大動脈です。


その日豊本線は福岡県の小倉駅を起点に別府、大分、宮崎と、国道10号線とほぼ平行に南下。鹿児島駅が終点の総延長462,6qの東九州の幹線路線です。

その内、宮崎県は北端の市棚駅から南の五十市駅まで156,7qをカバーしていますが、宮崎県内の便数は一番多い時間帯でも1時間に特急1本、普通列車3本程度で、県外から訪れた多くの人々が最初に抱く印象は交通の便、特に、鉄道の便が良くないと言うことです。


名前が静かなブームの真幸駅

肥薩線を走るキハ140

また、大分以北は複線電化されていますが、宮崎県に入ると複線区間は、全くなく鹿児島まで全線電化されたのも昭和54年9月と、JR九州の九州西側の線区と比べかなり遅れました。

所要時間にしても、特急で大分まで3時間、博多駅までは5時間かかります。この面でも九州西岸を通る鹿児島本線や長崎・佐世保本線などと比べ差が歴然としています。

JR九州になるずっと前の、旧国鉄時代の電化されるまではSLがのどかに走っていた、古き良き時代もありました。
実家が駅の機関区の近くにあった関係で風に乗って飛んでくるSLの石炭の匂いが、今でも懐かしく思い出されます。

その他、県内を走る路線で、風光明媚な日南海岸国定公園を存分に楽しめ、景色の素晴らしさがウリの日南線ですが、1時間に1本しか列車がないのでは観光の役割は果たせません。折角の沿線の魅力が、JR九州を通しては全国の人々に伝わらないもどかしさを感じます。

反対に宮崎空港線は、そんな不便な県内の鉄道事情に業を煮やした県北の住民が、JR九州や自治体に働きかけて開通した空港乗り入れ線です。日南線から引き込み線の形で宮崎空港ターミナルまで駅舎が延びており飛行機を利用する人々には大変便利な線区です。
その代わり、開通までドル箱だったバスやタクシー業者の乗客が減り悲鳴を上げています。

県の南西部に、お邪魔する形で通る肥薩線は、我県に属する駅はひとつしかありません。
その唯一の真幸(まさき)駅は、周辺に人家ひとつない秘境駅で、その名前からしてマニアには入場券などで人気があります。

この線区は、急峻な矢岳高原を登るため真幸駅は、JR九州では珍しい珍しいスイッチバック方式が取られています。また、車窓から見る霧島連山の雄大さは格別です。
ここも利用客が少なく1日の便数はわずか5便しかなくさびしい限りです。
             

                
日本3大車窓(肥薩線真幸駅)
宮崎の県鳥コシジロヤマドリ

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