★アメリカ車旅・前編★

30年ぶりのアメリカ西部感動の2週間

ロサンゼルス・ベガス~グランドサークル

         アメリカ西部車の旅“前編”
アメリカは30年前に住んで以来、いつかまた行きたいと思っていた国です。
前回住んでいたのはミシシッピー州で、ディープサウスと言われるメキシコ湾に面したルイジアナ州ニューオリンズから車で3時間ほどの、周囲を広大な松林に囲まれた田舎町でした。
黒人の人口が多く当時は、人種の偏見が色濃く残っていた所でもありました。しかし、接した人々はみなフレンドリーで、楽しく思い出深い青春のひとときを存分に満喫しました。
そんなアメリカの雰囲気を肌で感じたいと、帰国した当初から「また行って見たい」「出来れば住んでみたい」と心の中で願っていました。
それが今回、ようやく叶った次第です。
実は、32年前にお世話になった米国人家族は今もご健在で、オクラホマやミズーリなどに住んでいて本当は是非訪ねて旧交を温めたいと思っていました。
しかし、アメリカは限りなく広く今回の旅ではとてもスケジュールに収まりそうもなく泣く泣く断念しました。
11月23日、羽田を発ち一路ロサンゼルス空港を目指しました。旅の目的は「自分探し」アメリカの開放的な雰囲気に触れ、日本ではお目にかかれないスケールの大きい大自然をこの目にしっかり焼き付け、身も心もリフレッシュしようと考えています。

ユタ州ザイオン国立公園
  北海道を宮崎から紹介~top

久しぶりアメリカ再上陸“前編”

久しぶりアメリカ再上陸“後編”

宮崎の立体魚拓

北海道の温泉まとめて紹介

北海道の名産品紹介

JR北海道の紹介

北海道の高校野球

北海道の祭り紹介

北海道の植物を、気候を通して紹介

北海道釣りへの憧れ

宮崎の温泉紹介

宮崎でクラシックカー

宮崎の名産品の紹介

宮崎の旅・名所旧跡

宮崎の名所旧跡no2

宮崎名所旧跡洗い出

宮崎の奥の狭い道


宮崎・名所no5


宮崎の名所旧跡06

宮崎の名所散策第7弾

第8弾宮崎どんげけ?

宮崎散歩第9弾

JR九州の紹介

宮崎の高校野球

宮崎の高校野球2

宮崎の祭り紹介

宮崎の植物をランダムに紹介

宮崎は花がいっぱい!!
   
宮崎はバラがいっぱい!!
   
宮崎花物語秋の編

宮崎2016春夏花物語

宮崎の気候を紹介


台風被害2005年14号台風

宮崎の釣りの紹介

亀と白の釣行バトルin宮崎

一口釣り情報n宮崎・門川

父の遭難と奇跡の生還in宮崎

宮崎の青い空

リンク集


プロフィール

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              アメリカグランドサークルの旅目次

1、アメリカ夢にまで見た再上陸


2、スッタモンダのアメリカ到着

3、レンタカーによる旅の始まり

4、ラスベガスへ

5、リトルフィールドの山々

6、ザイオン国立公園の奇跡

7、ブライスキャニオン国立公園

8、絶景!!ブライスポイント


ロサンゼルス空港周辺

ヒルトンLAⅩ

ヒルトンLAⅩの中庭

ロサンゼルス~ラスベガス間

ロサンゼルス~ラスベガス間

ラスベガス手前のテーマパーク
                  アメリカ、夢に見た再上陸
行って実感する、「アメリカは、広いなあ大きいなあ!!・・・夢を見ているような」・・・・。
そんな2週間弱がアッという間に過ぎ去りました。
1979年以来、32年ぶりに訪れたアメリカ本土。
前々から温めていた夢を実現する機会にやっと恵まれました。
2011年11月23日、思い立って3ヶ月と、あまり準備時間のないままに旅たちの日を迎えました。前回は1年6ヶ月の滞在で、いろいろな所に行く時間的な余裕がたっぷりありましたが、今回は2週間弱しかありません。
行きたい所は山ほどありましたが、目的地を絞り込み時間を効率よく使って旅しなければなりません。そうなると交通手段や訪問地はおのずと限られてきます。
計画のはじめの段階では約1ヶ月の日程でレンタカーとグレイハウンドバスを利用してミズーリ州とオハイオ州に住んでいる、昔お世話になった米国人家族を訪問することを強く希望していたのですが、金と時間の関係で今回は断念することにしました。
それでもあそこも行きたいここも行きたいと、なかなか行程が決まりません。
とりあえず出来る限りの候補地を列挙してその中からどうしても行きたいところを残し、行きたいが雪などで時期的に無理なところ、距離的にも無理なところなどをカットして結局、レンタカーを駆ってグランドサークル中心に巡ることで落ちつきました。
今回の旅のポリシーは気ままな自由旅。ツアーは避けて行きたい所に行き、安く仕上げて豪華な思い出作りです。
今、旅を終えてほぼ目的は達せられたと満足しています。
このページでは、この2週間弱の軌跡を順を追って紹介しようと思います。
ただ、どこかのサイトのように目的地の詳細な説明や位置づけ、専門的な成り立ちなどこと細かい説明は私の不十分な英語力では到底手に負えませんので撮り溜めした約800枚の写真を駆使して視覚に訴えることや、情緒的な旅のエピソードを交えて旅行記を組み立てるつもりです。
ただ、旅行のはじめのところは、全く余裕がなく写真も思うようには撮れていません。
もちろん稚拙な文章はご勘弁をということでお願いいたします。
             
 ロサンゼルスとラスベガス間の沿道風景
いよいよ出発
2011年11月23日12時45分 
宮崎発羽田空港行き ソラシドエア
28日前割引を購入していたので、往復24.000円、片道12.000円程度で済みました。
地方から羽田や成田で乗り継ぐのは物理的にも金銭的にも大変です。
今回は昼過ぎ羽田についてそれから待つことほぼ12時間。退屈で仕方ありませんでした。
まだ出来て1年少々の羽田空港国際線ターミナルの「江戸小路」。
テレビで完成時の特集を見ましたので期待していましたが、東京のレストランってこんなに高いのですか?味はもうひとつなのに・・・。
[さすが、ここは東京]と価格面で実感しました。魅力的な施設には程遠さを感じましたが・・。
2011年11月24日
午前0時30分羽田発ロサンゼルス行きデルタ航空636便。離陸したのは予定を30分オーバーの午前1時過ぎ。
機内は、ほぼ満席状態だったので座席に縛られゆっくり横になることもできません。しかし、中央部分を見ると4列並んだ席を独り占めして堂々とベッド代わりに使っている女性、その後ろの席も同じように4列をベッドにしている男性、話しぶりから中国人の夫婦のよう。
「他の客がみな狭いスペースで我慢しているのに勇気あるなあ・・」と、言うよりそのあつかましさデリカシーのなさに唖然とさせられました。やっぱこのくらいのたくましさがあるから中国華僑は世界に出て対等に競争が出来るのだろうと、変なところで納得させられました。
各座席に備え付けられたモニターの故障、機内サービスは有難いのですが、2~3時間ごとに「ドリンクは何にいたしましょう?・食べ物はビーフ?チキン?」とチャーミングな声で尋ねられるより「今は眠りたい!!」・・・・。
それにしてもデルタのCAはこまめに働くなあ・・・・。
狭い座席に縛り付けられた9時間のフライトは、単調で苦痛以外の何ものでもありませんでした。現地時間の夕刻4時30分前、ロサンゼルス空港に無事着陸。
いよいよアメリカと思うと興奮を隠しきれません。まるで子供のようです。

                 『スッタモンダのアメリカ到着!!』
ところがアメリカはすんなりとは私の入国を許してくれません。
ここから旅にはつきもののトラブルが驚くほど連続しました。
まず、入国審査。折から到着便が重なり、どの審査官の前にも長蛇の列が出来ています。
長いこと待ってようやく審査してもらえると思ったらパスポートのほかに免税申告書の提出を求められました。別に税がかかるようなもんどこにも持っていなかったので何も書いていなかったのですが・・・。書くようにと機内で説明があったのかも。
でも私は飛行中ほとんど夢の中。まったく記憶にありません。
近くにいた同乗の客に書き方を聞いて所定の書類を整理して再度並び直しです。
こんどは新たに到着した便の乗客も加わり長い長い行列に50分以上もかかってやっと入管を通過しました。続いて指定の手荷物引取り所へ行きベルトコンベアーに目を凝らしますが、いつまで経っても私の手荷物が回ってきません。
しまいにはコンベアーの荷物がゼロになってしまいました。
引き取り所の番号を確認すると確かに間違っていませんこのコンベアーのはずです。慣れぬ土地で心細くてたまりません。あわてて近くにいた係員に尋ねましたが要領を得ません。ただ、係員も私の訴えがわかったのでしょう。他の係員に尋ねたり、クレームボックスを確認したりと一緒になって探してくれました。
20分ほど経ったでしょうか。目の前を見覚えのある黒いキャリーカーを引いた黒人の青年が通り過ぎようとしています。大慌てで追いかけタップを確認すると、確かに私の荷物です。くだんの青年に質すと間違って持っていき返しにきたとのこと、何とか無事自分の荷物を確保しましたが一時はどうなることかと到着早々肝を冷やしました。

ヒルトンロサンゼズルス空港
ホテルは、空港近くの名の通ったところを予約しておりました。ホテル専属のシャトルバスを利用して10分。ようやく部屋で落ち着くことが出来ました。時計を見ると昼の1時過ぎ。おっとこれは日本時間です。一方、ケイタイを見ると、18時15分。自動的に時差調整が出来ていました。
「ヘーェ便利やのう!!」 部屋は広々して開放的。まずまずです。ようやく余裕がでてきてテレビを点け風呂場のチェック。ところがまたまたトラブル発生です。トイレのフタを開けた途端、陶器のフタがはずれて危うく床に落としそうになりました。ナント付け根のネジが折れています。普通考えられないようなことです。フロントに掛け合うと素早く対応し、新しいものと取り替えてもらいました。

トイレは素早く修理してもらいましたが・・。
「もうないだろうなあ」と思いながらバスタブをチェックすると、湯溜め用のセンが欠けていてお湯がたまりません。しかもいつまで出してもぬるま湯の状態。「こんな一流のホテルが」と半ばあきらめてフロントに電話するとこんどは部屋自体を替えてくれました。「到着早々ここまで手荒な歓迎を受けるとは、」ひとつひとつが疲れた身体に染み渡ります。新しい部屋に変わり、真っ先にバスタブをチェック異常なしトイレもチェック・・異常なし。やっとホッとすることが出来ました。時計を見ると19時40分。ここまで1時間以上もスッタモンダを繰り返していたことになります。
ところがです。トラブルはこれで終わりませんでした。やっとくつろげる状態になり、翌日以降の日程を確認しようとカバンを開けたところ、スケジュールを収めたファイルが見当たりません。このファイルの中には、今後のホテルの予約確認書、帰りの航空券、レンタカーの予約書・目的地を登録したUSBメモリー、さらにはESTAなど旅行に必要な重要なものがたくさん入っていました。失くしたらそれこそこれから先の旅行が出来ません。頭が真っ白になりました。アメリカ到着後、いろいろなトラブルが続きましたが、それらはせいぜいジャブ程度、しかしこんどは右のハンマーパンチ。見つからなかったらどうしよう。しかし、ある程度は心あたりがありました。そうチェックイン時にフロントで予約確認のためファイルを開けた記憶があったのです。たぶんそこで忘れたはず。フロントへ行き軽い気持ちでチェックイン時応対したフロントマンに尋ねました。ところが、ファイルの見覚えが全くないとの返事。「ガーン。」いっぺんに血の気が引きました。フロントマンは続けて、「ホテルの保安室に届けてくれ。もしかしたらそこに届いているかも知れないから」とのご託宣。「明日からどうしよう」との思いが駆け巡ります。
わずかな期待を持って保安室を訪れましたが、届いているはずもありません。うつろな目で名前と部屋番号、日本の住所、失くした品名などを書いて部屋に戻りました。部屋に入ってからも翌日以降のことが気になってまったく落ち着くことが出来ません。ベッドに横になっていたらいつの間にか眠っていました。目が覚めると夜の11時を回っていました。そして思うことはファイルのことばかり。「確かにフロントで開けたはずだがなあ」それだけは確かに記憶があります。そう思いながらその後の行動をひとつひとつ思い返してみました。と、ひとつ引っかかることがありました。今いる部屋の前に別の部屋をあてがわれていたはず。「そうだ12階のはじめの部屋に行ってみよう。」そう思ってフロントでカードキーを借りて大急ぎで部屋に向かいました。そして、中に入ってテレビのある机の上で探し求めていたファイルをとうとう見つけ出しました。「あった」無意識に大きな声を出していました。「まさかここにあるとは・・。よかったあ・・・・」心の底から安堵の気持ちが沸きあがってきました。トラブル続きの部屋、ここでファイルをカバンの中から出したことなど全く記憶になかったのです。
こんなにドキドキしたり、喜んだり悲しんだりしたことはありません。くたびれ果ててアメリカ初日の夜が更けていきました。

宿泊ホテル:“Hilton Hotel Los Angeles Airport  JPY7,629
            
          『スッタモンダの収まる気配がありません!!』

ドタバタ続きのアメリカ初日が終わったにもかかわらず2日目の朝を迎えその余波はまだ続いていました。

朝から豪華な朝食がテーブルいっぱいに並ぶ
前夜、騒動が決着しホッとして目に止まったのが、机の上に置かれたホテルの案内パンフ。その中に館内レストランのメニューとオーダー表がありました。
翌朝の朝食時、レストランであれこれ考えたくないと深く気にもせず、オーダー表に給仕の時間と希望するメニューに〆印を書き込みドアノブにぶら下げました。
朝、希望の時間にレストランに行けば、予め予約したとおりに朝食がセットしてある意味だろうと思い込んでいました。希望した時間は午前8時です。
7時45分、部屋の電話がなりレストランからドリンクの種類を訊いてきました。
「何とか通じている。」そう思ってレストランへ行く準備にとりかかりました。
そして、部屋を出ようとしたら、ドアをノックする音がしました。開けてみると大男の黒人ウェイターが立っています。目の前にはなんとテーブルいっぱいにパンや果物、ドリンクがあるじゃありませんか。しかも二人分。びっくりたまげて「こんなの注文していない」とウェイターに文句を言っても通じるわけがありません。
まさに「オーマイゴッド・・・」状態です。オーダー表をよーく見ると、部屋へのデリバリーサービスのようでした。ウェイターにチップを渡すと、にっこりしてかえっていきましたが、それにしてもまたまたの失態。結局、部屋代ほどの高い授業力を払うハメになってしまいました。
                     そしてもうひとつ。
前日ホテル到着時にカウンター脇にあるレンタカー会社の出張オフィスに気づき、翌朝の朝9時に訪れる旨、フロントに連絡。ホテルマンも快くOKしたのですが、約束の時間にオフィスに行きいくら待ってもレンタカー会社のスタッフはだれも現れません。「何故なんだろう」とホテルのフロントに尋ねますと、この日は感謝祭のため出張オフィスは休みとのこと。「それならそうと言ってくれればいいのに・・・・」どうもまだすんなりとはコトが進みません。
               
いよいよレンタカーによる旅の開始
さて、今日からレンタカーを借りてのアメリカ大陸観光の旅が始まります。期待と不安が入り混じった心境です。ホテルからひとまずロサンゼルス空港へ行き、そこからひっきりなしに運行しているレンタカー会社のシャトルバスへ乗り換え、空港営業所のオフィスで予約していた車を借りる手はずです。
受付には車を借りる人が長い列を作って並んでいます。正直、こんなに多くの利用者がいるとは予想もしませんでした。20分後、私の番がやってきました。スペイン語なまりの陽気そうなスタッフが「コニチワ」と声をかけてきました。一瞬戸惑いましたが、悪くない雰囲気です。そして予め用意していた確認書を提出、保険関係、車の説明、チェックインの方法など審査は順調に進んでいきました。
そして、最後の最後になってトラブルが発生しました。
くだんのスタッフから日本の免許証の提出を求められました。
「ガーン・・・・」実は、日本を発つ前、免許証をどうしようかと一瞬考え、「国際免許証があることだし、もしなくしでもしたら面倒」と、あえて自宅に置いてきたのです。それがここで提出を求められるとは・・・。
しかも、スペイン語訛りのスタッフはそれがないと車は貸せないと言うのです。
「そんな・・・・?」「車が借りれなかったらどうしよう」すべての計画が水のアワと化します。
米到着後、スッタモンダの連続でしたが、こんどこそ絶対絶命本当の試練です。「日本の免許証はどうしても必要か?」と何度も訊きましたが、応えは「Must!」の一言。
「日本に連絡して送ってもらったらどうだい?」なんて非現実的なことをおっしゃいます。
コトの大きさに途方に暮れました。
しかし、ここで引き下がる訳には行きません。あとは粘り強く話し合うしか方法がありません。
最低国際免許証はあるのですから・・・。
そこを突破口につたない英語でお願いを繰り返しました。車がないとすべての計画が無に帰すと再三訴えること1時間。
陽気なメキシカンに変化が現れました。
そして、中のオフィスに連れていかれ上司を入れ1対2での交渉です。
しばらくは平行線が続きました。
ここであることに気づきました。
実は米国人に何か世話になったとき、チップ代わりに渡すつもりのいかにも日本的な絵の描かれた扇子を何本かバッグに忍ばせていたのです。
これが大きな力になりました。これをふたつ取り出し、「This is for you」不意のプレゼントに二人は驚き、愛好を崩しました。ここぞとばかり拝み倒し、ついにOKのひとことを引き出しました。
交渉を始めて1時間20分。ようやく車を借りることに成功しました。しかし、厳しい条件も付けられました。「この件に関しては、イリーガルであり何かあったときは自分で責任を取ること。」つまり、事故を起こしたり、車にトラブルが発生したとき保険は出ないというのです。
これは大きなプレッシャーです。慣れない左ハンドルに右側通行。果たして大丈夫だろうか。車が借りられる喜びを大きく上回る不安が私を襲いました。しかし、ここでひるんでいたら先へは進めません。長いこと準備してきた苦労も報われません。ここはやるしかないと覚悟を決めました。
               ロサンゼルス~ラスベガス 600km
アメリカ上陸後、トラブルが続いていましたのでこの先が非常に心配ですが、なんとか車までたどり着くことが出来ました。
借りた車はニッサンのインフィニティEX35です。日産が日本国外で展開している高級車ブランドで排気量3500cc、外観、性能など抜群の車です。目的地が雪と異常低温の予報で、対応出来るよう4WDを予約しておいたのですが、後で考えればフリーウェイの急加速などでずいぶん助かりました。
ただし、今まで4WDの大きな車には乗ったことがなかったのでいきなり目の前にドーンと置かれると面食らってしまいます。

ニッサンインフィニティEX35
しかもここはアメリカ。当然ながら左ハンドルに右側通行です。30年前に経験があってももうとっくの昔の話しで何の役にも立ちません。エンジンのかけ方もわかりません。ガソリン口はどう開けるのでしょう?
いつものようにワイパーを下げると左折の方向指示器が点滅します。
右側を下げるとワイパー。頭ではわかっていても実際動かして見ると、いつもの慣れた車のクセがどうしても出てしまいます。一方で今回の旅行で一番頼りにしているナビゲーションシステム、これなくしては目的地に到着するのは非常に難しいと思っていたのですが、幸い無事作動してくれました。
スタッフの力を借りながらひととおり操作法をマスターして出発することにしました。
ここまで予定より2時間近く遅れています。明るいうちにラスベガスに到着するのが目標ですが、このままではちょっと厳しそうです。
ソロリソロリと公道に出ると、やっぱり勝手が違います。
広くて車線が多いロサンゼルスの道路の中央寄り、歩道寄り、どこを走っていいやら・・・。
後ろから車が近づいたり、対向車が来ると緊張します。
ナビの指示もあまり頭に入りません。右折の指示も通り過ぎて気づく始末。とにかく急ハンドル、急ブレーキは踏まないよう気をつけるのが精一杯の状態です。
こんな状態でフリーウェイなど乗れるはずもありません。しばらくは右折も左折も出来ず、まっすぐ走るだけ。手には脂汗がにじんでいます。
ナビの指示からは大きくはずれ、車の少ないわき道にそれて、Uターンして後戻り。
戻り過ぎると、また同じことを繰り返します。必死で前を向いているだけなので、今どこら辺にいるのか、周りの景色はどうなっているのか全くわかりません。
そんなことを30分以上繰り返して、徐々に運転感覚がわかってきて回りに目配りも出来るようになりました。

ロサンゼルスのフリーウェイ
そして、意を決してフリーウェイに挑戦しました。
サンディエゴから北上、途中Ⅰ-5と分岐して西海岸沿いを南北に走る大動脈I-405・通称サンディエゴ・フリーウェイです。
LAX(ロサンゼルス国際空港)近くから乗った途端、車の多さとスピードに圧倒され目がくらみました。130kmを超すスピードに全くついていけずコース変更も出来ずそのまま右端の出口車線から場外へ弾き出されました。
普段交通量の少ない宮崎の田舎道をのんびり走っている人間が、東京、大阪の混雑する道路を経験せずしていきなりモータリゼーションの元祖・ロスの代表的なフリーウェイに突っ込むのですから、それはそれは相当無謀、勇気のいることです。
どのブログにもレンタカーで旅したことは書いてあっても、道路事情を詳しく書いたものはなかったので簡単に考えていました。
しかしながら、フリーウェイを利用しなければ予定どおりラスベガスに着くことが出来ません。
また30分近く一般道路をあっちこっちしながら左ハンドルの車に慣れることに専念し、スピード感もインプットして再びフリーウェイへ。
こんどはスピードを上げてひとつふたつ走行車線を変更、なんとか車の流れに乗ることができました。ところが、ほどなくしてナビがこんどは右側への車線変更を指示、別のフリーウェイへ導くはずが、片側8車線を埋め尽くした車に車線変更が出来ずそのまま直進、十何マイルも行き過ぎて一般道へ下りてまたフリーウェイに乗り直し。そんなことを何度も繰り返しながら、少しずつロスの中心から離れ目指すラスベガスに向かいました。
車線いっぱいに車があふれていてスピード制限は85マイル。前後ばかりでなく左横、右側へも注意を配らないと、何時ぶつかるかわからないほど接近してくる車はまさに脅威です。
アメリカ人は模範的な運転をすると思っていたのですが、割り込みはあるし急な車線変更はするし、かなり危険な運転をずいぶんみました。そんな状態ですので沿線の雰囲気を味わうことが出来ません。その前にどのフリーウェイを走っているのかもわかりません。
はじめの予定ですと、ダウンタウンの高層ビル群の横を通ってインターステート・I-10に乗り南東に走っているはずなのですがどうも違うよう。
表示の地名に見覚えのあるところが全くありません。ロスの東側の山脈も遠くに横たわったまま。ハイウェイ名を表す「10」の数字も出てきません。
既に乗って1時間以上は経ちましたのでラスベガス方面のI-15に出くわして良いころですがそれもありません。
車線数は都心部より減りましたがそれでも4車線、相変わらずどの車のスピードも制限速度いっぱいの85マイルで飛ばしています。少し慣れたとは言え、手の平は汗でびっしょりのままです。右車線を走行する大型トラックにも抜かれていきます。20分後、ようやくⅠ-15に合流しました。後で地図をみましたらI-10よりかなり南の道路を走っていたようです。
やっと目的地へ直行するルートに乗ってひと安心です。
ただ、合流したとたんに渋滞が始まりました。速度は自転車並みに落ちて、はるかかなたの前方まで車の列が見えます。ゆっくり走れるのはうれしいのですが、その分だけ到着が遅れることになります。この時点ですでに2時間以上遅れており果たして何時に着くのやら。はじめての土地で暗い中を走行するのはあまり嬉しくはありません。
渋滞は次のフリーウェイと交差する30km先まで続きました。カホン峠を超えてようやく道路が安定してきました。さらに50km先・I-40の分岐点に当たるバーストーを過ぎた辺りから車の量も減少、少しだけ気持ちに余裕が出来てきました。周囲は見渡す限りの荒地、この辺りは「Mojave Desert」でしょうか。砂漠のところどころにトレーラーハウスや家屋が見えます。
インディアンの居留地でしょうか。はるか遠くには小さく山が見えます。フリーウェイも一直線に延びいかにもアメリカという感じ・・・・・・。

ラスベガス手前のネオンサイン
ラスベガスには19時少し前に到着しました。既に日没はとっくに過ぎ、ネオンがまぶしく輝いています。しかし、私にとってはそれどころではありません。都心部に近づくにつれI-15の車線と車の量が増えまた緊張が襲ってきました。ロサンゼルスよりスケールは小さいものの暗くなったフリーウェイは恐怖そのものです。「早く下の道に下りたい。」一心でナビを無視して側道から脱出すると、「まもなく右折してください」と、フリーウェイに乗れとの指示。そうこうしながらどうにかこうにか予定のホテルに到着しました。時間を見ると19時40分。ロサンゼルスからの走行距離399マイル(約638km)。かなり回り道をしましたが約2時間30分遅れで初日のロングドライブが終わりました。
宿泊ホテル:“Four Queens Hotel And Casino JPY4,529 
                 ラスベガス~ST・ジョージ
ラスベガスと言えば32年前、グレイハウンドでバスターミナルに降り立ち、乗り換えの時間を利用してカジノでゲームに興じ大負けを喫した苦い思い出の地でもあります。
ただ、その時は幸いにも同じネバダ州北部のカジノ都市・リノでその8割強を取り戻してホッと胸を撫で下ろしましたが・・・。

ラスベガス中心部

ラスベガス郊外

ラスベガス郊外

ラスベガス郊外
今回は、そんな昔のことが思い出されたり、旅が始まったばかりということもあって、宿泊ホテル1階のワンフロアがカジノのゲーム機器や賭場で埋まっているにもかかわらず、すべてパスさせていただきました。
ただ、夕食はカジノに隣接するホテルのレストランを利用しましたのでカジノの雰囲気は存分に味わうことが出来ました。
レストランと言えば、食事ですが30cmを超えようかという大皿に魚フライ、ハンバーグそれに野菜が山ほど、それでいて7ドル99セントと破格値。
バドワイザーも1ドル99セント。
メニューを見ると朝食も5ドル程度でコーヒーは飲み放題と書いてあります。
聞けばカジノで稼ぐのでホテルの宿泊代や飲食物は安く設定されているとのことでした。
               アメリカ上陸3日目。
今日は行程が短く気分的にも余裕が持てるようなスケジュールを組んでいます。
ホテルを9時少し過ぎに出発です。
1日目、2日目と災難続きでしたので、そろそろ落ち着いてもらいたいものです。
と思った瞬間早々とフリーウェイI-15に乗り損ねてしまいました。
さらに一般道で右往左往した後I-15にうまく合流したと思ったら、何か変。
よーくみるとロサンゼルス方面へあと戻りしていました。
また、あの恐怖のスピード感覚にもまだ慣れません。
う~んなかなかうまく行きませんね。
しかしながら、これからは人口が少ないいわば田舎へ進んでいきます。車の量も次第に少なくなってくるはずです。そのことだけが救いです。
最初の目的地は、
「Valley of Fire State Park」
ラスベガスから約1時間の距離にあるネバダ州の州立公園です。
I-15を北に向け走り、Mojave Indian 居留区でフリーウェイを下り169号を10分も走ると、辺りの景色が一変してきます。
周りの山々が鮮やかな赤色に染まってきます。
それは今まで見たこともない光景で、この世のものとは思えないほどの実にインパクトの強い真っ赤な岩肌が眼前に迫ってきます。
「異国に来たのだな」と言うことを実感しました。

「Valley of Fire State Park」
しばらく走ると、インターネットで何度も目にした「Valley of Fire State Park」の看板が道の右側に見えてきました。
実物は意外と小さく若干みすぼらしく感じました。
この公園は西からと東からの2箇所の入り口があります。
どちらも169号を走る一本道でⅠ-15を底辺にしてグルーッと迂回するような形になっています。私が通ってきたのは、西側の入り口で先ほどの看板から少し進んだところに料金徴収所がありました。
入場料は車1台10ドルです。
しかし、日本での下調べの時は確か西側から入った場合は料金徴収所はなくビジターセンターで自発的に納める、しかも6ドルと言うことだったのですが・・・・。
まあこの程度の誤差は想定内でしょう。
169号に沿って赤い岩山が点在し、ところどころに駐車場があり、その先に奇岩や謂れのある岩山が鎮座しています。
「Valley of Fire State Park」 no1
それにしても、岩山の鮮やかな朱と言いますか赤色は印象的ですね。
朝日や夕日が沈むころはもっと素晴らしい色になることでしょう。
公園の中心にはビジターセンターがあり、この公園の成り立ちを示す品々が多数展示され、インディアンの民芸品などの土産物が販売されていました。
ラスベガスから手ごろに来ることが出来るからでしょうか、この日は平日にもかかわらず、多くの人々が訪れ小高い丘に登ったり風雨で侵食した奇岩などに魅入っていました。
赤茶けた岩山が織り成す公園風景にそろそろ目が慣れたところで,、次の目的地に向け出発しました。
「Valley of Fire State Park」 no2
ビジターセンターから10分ほど走ると東側の出口です。
ラスベガス方面に続く167号とここで合流、右に曲がるとその先にはフーバーダムで堰き止められた人造湖の
「Lake Mead」があり沿岸は訪れる人々の憩いの場になっています。
私はここで左にハンドルを切り、Ⅰ-15方面に進路を取りました。
周囲の赤茶けた岩山はまだ続いていますが、ところどころに緑色の草原も目にするようになって来ました。
褐色の岩肌に慣れていたため、一面敷き詰めたような緑色が目に優しく飛び込んできます。
この緑は、
「Lake Mead」に流れ込むコロラド川の支流がもたらしたもので、道沿いには牧場が点在し牛や馬が草を食む姿はのどかな農村風景そのものです。
川の上流に進んでいくと、民家の数が増えてきました。オーバートンの町です。
小さな牧畜の町という印象ですが例によってマックやチェーンモーテルの看板が、いかにも「ここはアメリカ」という印象を目に焼き付けます。
ここでガソリンを補給することにしました。
車を借りて初めての給油で
ロサンゼルスから440マイル、704kmも走っていました。
ガソリンスタンドは、「Please pay first」。
日本で見た手引書のとおりそれぞれの給油ブースに番号が付いていて併設するフードストアに行って番号を伝え、お金を払ってガソリンを入れる仕組みです。
ただ、出来ればクレジットカードで入れたかったのですが、JCB、VISAともにアウト。
現金をあまり持っていないので先が思いやられます。

ネバダ州オーバートンのガソリンステーションとフードショップ
今日の宿泊はここから約70km先にあるST・ジョージ。
昨日と比べると時間的にも距離的にもかなり余裕があります。
給油後周囲をキョロキョロしながら運転していると、スーパーマーケットの看板が飛び込んできました。
時間は午後の2時、お腹も空いたころでしたので、久しぶりにアメリカのスーパーに足を入れ食料を調達することにしました。
結構きれいに、ボリューム感たっぷりに陳列してあるのにはちょっとビックリです。
例によって肉類やジュース類は、保存が利くよう大パックやダース単位。
パンを買おうとしても一度に3食分は賄える量。ここはアメリカこれも想定内です。
それにしても気づくのはインディアンの血を引く人々の多いこと。
購買客はもちろん従業員の中にも。
前知識がなかったのでひとつ大きな勉強になりました。
オーバートンで過ごすこと2時間、計画ではここにある
「Lost City Museum」を訪ねる予定だったのですが、時間オーバー。
ST・ジョージ を目指すことにしました。
Ⅰ-15に戻ると周囲は荒野。
まっすぐ延びた道路の先、はるか遠くに小さく山が見える単調な風景が続きます。
道は緩やかな上り下りを繰り返しながら、北へ北へと続いています。
インターステートとは言え車の量もこの辺りまで来るとグッと少なくなり、私の運転にも余裕が出てきて周囲が見えるようになってきました。
30分位単調な道を走っていると、まっすぐ延びたフリーウェイのはるか先に褐色の山々が連なっているのが見え隠れしてきました。
Little field のカベのような山肌
まるでカベのように。
標高およそ800mくらいでしょうか。
幾重にも幾重にも連なって見えます。
荒野の中、単調な風景の連続でうつらうつらしていた私には格好の覚醒材料です。
東の端のひと際高い山・標高2400mの
「Mount Bangs」 を基点にして西に向かって緩やかに下っていっています。
山すそにはインディアン居留区でしょうか、家屋が密集しています。
Ⅰ-15はその真っ只中、
Little field の方角に向かって進んでいます。
しかし、その先が一体どうなっているのか? カベ(山)が近づいても山の斜面に道が見えません。考えられるのは、左に迂回しながら山肌を上っていく。逆に右に回りながら上っていく。もしくはど真ん中をトンネルで貫く。この3つでしょうが・・・。
そして、Ⅰ-15が山肌に突っ込んでいきました。
するとどうでしょう。
坂道もトンネルもありません。
道は山と山の間をクネクネ曲がりながら進んでいっています。
標高7~800mはあろうかと言う山間の谷間に沿って、トンネルひとつなく見事にすり抜けて行くのです。
いやーこれにはまいりました。
しかもはるか遠くからみても巨大な山肌に突っ込んで15分近く。
カベは何重にも重なって迫ってきます。
この迫力にはまいりました。
折りしも夕刻。
夕陽に染まった真っ赤な岩肌。
一方で得も言われぬピンク色。
セント・ジョージのモーテル“Knights Inn”
素晴らしいの一言以外言葉が浮かびません。
残念だったのはクネクネした道、しかも高速のため運転に専念しなければならず思うように写真が撮れなかったことです。
そして、ようやく山肌を抜けきるとST・ジョージの灯りが見えてきました。
この旅ではじめてのモーテルはⅠ-15を下りて程近い住宅街の中にありました。
宿舎:Knights Inn St. George Airport  JPY3,769 
             ラスベガス~ST・ジョージ 91マイル 145km

いよいよ国立公園巡り
この日から今回のアメリカ車の旅で、最大目的だったグランドサークル=国立公園巡りがスタートします。
同サークルの東部に位置する「ARCHES NATIONAL PARK」や「CANYONLANDS NATIONAL PARK」までは行けませんが、ほぼ満足出来る公園訪問が出来そうです。
朝7時30分に起きて気になる現地(BRYCE CANYON N・P)の天気の確認をしましたら気温氷点下約3度、快晴とまずまずです。
気温は低いですが心配だった雪がここ3日ほど降っていないので、何とか行けそうでひと安心です。
ST・ジョージのモーテルは金額も安かったのですが朝食も付いていました。
ただし、米国流のオートミールにミルクをかき込み、ほかに堅めのドーナッツがふた切れ。
米国に住んでいた30年前を思い出しました。
アメリカ人はようこの程度であんなに大きく成長できるなあと不思議に思います。
さて、本日の行程ですが、はじめにザイオン国立公園(Zion National Park)を訪ねます。
宿泊したST・ジョージからは車でせいぜい1時間と少々、距離にして80kmほどでそんなに遠くはありません。
ザイオン国立公園
ToquervilleからSpring Daleにかけての沿道風景

ToquervilleからSpring Daleにかけての沿道風景
問題はその後。
ザイオンからブライス(BRYCE CANYON N・P)までが約150km、さらにブライス国立公園から次の宿泊地ページまでは300kmもあります。
まともに行ってもページ到着時には日没をとっくに迎えているはずです。
ですから天気によってはより時間を要すと考え、ブライスキャニオンを途中であきらめ経由地のカナブ(KANAB)周辺に代替訪問地を数箇所用意しました。
しかし、今日の天気では代替地に寄らなくてよさそうです。
 ホテルを出たのは8時30分でした。
強行日程を考慮し、時間稼ぎのためインターステート15を30km北上、トカービル(Toquerville)から州道17号を南下、ラ・バーキン(La Verkin)で9号線に合流しました。
距離は15km程度長くなりましたが時間はむしろかかっていません。
ユタ州ザイオン国立公園とシャトルバス
トカービルからの下りでは圧倒的な迫力の赤茶けた山肌をこの目で観て絶句しました。
遠くに尖がった山々が見え隠れしていましたが、あの麓辺りがザイオンの基点・スプリングデールでしょうか(Springdale)?
ホテルを出て1時間。
道路の両側がにぎやかになってきました。全国チェーンの有名モーテル、ロッヂ、レストラン、土産物店などが立ち並んでいます。
ここがスプリングデールです。
「まずはビジターセンターを」と目の前のモーテルに飛び込みました。
尋ねると、「それは“ZAION CANYON VISITOR CENTER”と言う名前でここから150m先を右に曲がってください。駐車場があります。そこから無料シャトルバスが出ています。それに乗ればあなたはきっと素晴らしいことを経験するでしょう。ただし、ここは標高1.200mの高地、薄着は禁物です。」と、なんとも丁寧に教えてくれました。
さすが大手モーテルのスタッフは違うなと一人感心しました。
車を進めると料金徴収所があり25ドル支払ってガイドブックを入手。
その先に駐車場とビジターセンターがありました。

「The Watchman」
そのすぐ東側にはほとんど垂直な、ここの番人との意味でしょうか「The Watchman」という名の高さ1.995mの大絶壁がそびえていたのですが、全くの逆光でサイトに乗せられるような写真を撮ることが出来ませんでした。
その他ザイオンには見上げると首が痛くなりそうな迫力満点の岩山がそびえていてその隙間にノース・フォーク・バージン川が流れています。
道はこの川沿いに奥へ延びていてビジターセンターから、この時期7分間隔で無料シャトルバスが出ており、終点の「Temple of Sinawava」までの20分間、途中のビューポイントや博物館・「Zaion Human History Museum」に寄りながらザイオンの迫力ある光景を堪能することが出来ます。
ザイオン国立公園の2.000m級迫力の岩山群その1
深さが6~800m、長さが約24kmにも及ぶこの大渓谷は、赤く日に焼けたナバホ・サンドストーン(砂岩)が長い年月をかけノース・フォーク・バージン川によって侵食されたものと言われています。ザイオンは、深い谷と緑の豊かさなどからサンフランシスコ西部に広がるヨセミテ国立公園に何となく似ています。
広々とした谷底の新緑から、4.000フィート(800メートル)上にそびえ立つサンドストーンの崖のクリーム色までさまざまな色を見せてくれますので視覚的にまるでおとぎの国にいるような錯覚を覚えます。
川の右岸には、下流側から「Mount Kinesava」(標高2.220m)、「The West Temple」(標高2.380m)、「Altar of Sacrifice」(標高2.288m)さらに「The Sentinel」(標高2.181m)の2.000m級の山々と言いますか巨大な岩壁が威容を誇り、これらを総称して「タワーズ・オン・ザ・バージン」(Towers On The Virgin)と呼ばれています。

「タワーズ・オン・ザ・バージン」(Towers On The Virgin)
左岸には「The East Temple」(標高2.350m)が控えています。
私もこのシャトルバスに乗り、谷に沿って上流へ向かいました。
途中カーブを曲がるたびに現れる両岸の大絶壁には圧倒されっぱなしで「いいところですね!」と言う言葉がほとんど意味をなさない陳腐なほど、この世のものとは思えないシーンの連続にどう表現したらいいのかわかりませんでした。
終点の「テンプル・オブ・シナワバ」で、高さが1.000mはあろうかと言う一枚岩・「Weeping Rock」のちょうど真ん中辺りに小さく動く人影ふたり。
ロッククライミングの最中でしょうが、それにしても上を向いても下を向いてもはるかかなた。
これまで見たことのない人間技とは思えない光景を目の当たりにして良い思い出を追加することが出来ました。
ところがです、写真をいくら探してもロッククライミングをするふたりの姿がありません。確かに写真を撮り、それらしき岩山は写っているのにですが・・。不覚にも撮ったあとの確認を怠ったようです。
この川に沿った道は「ZAION CANYON SCENIC DRIVE 」と呼ばれています。
道路はすべて濃い茶色舗装で統一されていてここも目や自然に優しい措置が講じられています。
ザイオン国立公園の2.000m級迫力の岩山群その2
私が訪れたのは11月も末、気温はかなり低かったのですが、既にシーズンオフに入っているからでしょうか、通常は乗り入れが禁止されているはずの谷間の奥地に多数の車が入り、川沿いのトレールやシャトルの終点・「Temple of Sinawava」の奥に延びているトレールから有名な「The Narrows」を目指すハイカーの姿が多数見られました。
シャトルバスはすべて電気自動車、オフシーズン以外は一般のガソリン車を出来るだけ入れない環境に配慮した措置でザイオンの自然が守られています。
ブライスキャニオンやカナブは川に沿ってこの道を奥へ進み「Zaion Human History Museum」の先の「Canyon junction」から右折、長くクネクネ曲がった上り坂を抜け、こんどは切り立った絶壁をくり貫いたかのような(資料によりますと)1927年に工事がはじまり1930年に完成した1.800mもの長く暗いしかも狭いトンネルなどが続く「ZAION MOUNT CARMEL HWY」と呼ばれる州道9号線を進んで、行くことができます。
前知識ではこのトンネルを抜けたところに、Canyon OverLookと言われる見晴らしのいい展望台があったのですが、残念ながら見過ごしてしまいました。

ユタ州ザイオン国立公園概略図
「ZAION MOUNT CARMEL HWY」の途中にはザイオンの東のゲートがあり、そこを過ぎると山肌もかなりおとなしくなってきます。
「Canyon junction」からほぼ1時間で東の基点である「Mount Carmel junction」に到着、ここから左に折れればブライスキャニオン方面、右に曲がればカナブ(KANAB)からページ方面と言うことになります。
ザイオンの奥深い素晴らしさは、2~3時間程度の滞在で分かるはずもありません。
少なくとも数日間宿泊して自分の足で渓谷上流・「The Narrows」を探索したり、Over Lookに入り込んだりと自然と一体となり溶け込むことにより多少は理解できると思います。
しかしながら、私のような時間を気にして動く旅人にとっては、限られた時間内に出来るだけ多くのものを目に焼き付け、写真に撮って記録することしか出来ません。
ザイオンを離れる前に、せめて「Human History Museum」だけでも訪れようと、「Canyon junction」の手前にある同博物館を目指しましたが、知らぬ間に通り過ぎて「ZAION MOUNT CARMEL HWY」に踏み込んでいましたので泣く泣く次の目的地へ向け車を進めました。
ここまで宿泊地のST・ジョージから95kmです。(ST・ジョージ~ザイオン59.5マイル95km)
ブ ラ イ ス キ ャ ニ オ ン 国 立 公 園

ブライスキャニオン国立公園左側入口(西)から右側(東)へ

「Sunset Point」

「Sunset Point」

「Sunset Point」

「Sunset Point」
 次の訪問地は、二番目の国立公園・ブライスキャニオン国立公園(BRYCE CANYON NATIONAL PARK )です。
車のナビゲーション・システムによりますと、ザイオンから88マイル、約140km先です。
道順は、ザイオン・マウント・カーメルハイウェイつまりステートハイウェイ9号で、ザイオン公園の東の終点・「Mount Carmel junction」まで行きUSハイウェイ89号Northに乗り換え、さらに12号に合流し11マイルほど走ります。
するとブライスキャニオンの玄関口・ビジターセンターに到着致します。
沿道は結構起伏に富んでいてところどころに民家も点在していました。
インターステートのように中央分離帯で区分された車線の多い道ではなく、ほとんどが対面通行の道路です。
それでいて制限速度は45から65マイル、ほぼ100kmで走行できます。民家があったり道幅が狭くなったりすると制限速度は25から45マイルまで落としますが、ロサンゼルスの恐怖のスピードを体験した私には、現地のドライバーがこの制限速度を確実に守っているのには驚かされました。
特に人影を見つけるとスピードを一段と緩め安全運転に徹している姿に共感を覚えました。
 日本を発つ前、一番気になっていたのがこのブライスキャニオンの天気、特に気温でした。
11月10日頃から最高・最低気温ともに下がりはじめ、華氏(Fahrenheit)で最低が10~14度、最高でも同じく35~40度と南国宮崎育ちの私には聞いて驚く、文字通り凍りつく数値でした。
因みに10~14度は、摂氏に直せば氷点下10から12度、35~40度は摂氏2から3度と言うことになります。
ブライスキャニオン国立公園・「Sunset Point」と「Inspiration Point」
しかも、時より雪も観測されていて果たして目的地にたどり着けるのかどうか非常に気をもんでいました。
ですから最初はノーマルタイヤの車を借りる予約をしていたのですが、心配になり雪や氷道にある程度は対応出来る4WD車に変更したほどです。
見た目にはそう感じませんが、東へ進みながら道は少しずつ高度を上げていきます。
時間が経つにつれ空気もひんやりしてくるのが分かります。
朝、確認したようにここまで道路状態は良好です。
ザイオンを出たのが12時を少し回った頃。100km近いスピードで飛ばせますのでブライス公園には少なくとも2時間あれば十分。
午後2時前後には到着できそうです。ただ、午後になると太陽の傾きが速いようで4時を過ぎると急に夕方と言う雰囲気になりますので少しでも早く着きたい一心でアクセルを踏む足に力が入ります。
夕方と言えば言えばユタ州やアリゾナ州はマウンテンタイム地区でロサンゼルスなどの西海岸と比べ1時間ほど早くなっています。
USハイウェイ89号Northから州道12号に入るころになると気温も一段と下がり、沿道のところどころに白いものが目立ってきました。
昨日・今日と言うより数日前に降ったのでしょう。
しかし、きれいに整備されている道路自体にはなんの影響もありません。
12号を東へ進むこと15分、「Bryce Canyon Airport」の取り付け道路から程なくして右折、約7kmほど走ったところにビジターセンターがありました。
ブライスキャニオン国立公園中央部分部
ここで車1台分の入場料25ドルを払って、いよいよブライスキャニオンです。
標高は徐々に上がりゲート周辺で2.406mと表示されています。道理で寒いはずです。
この辺りまでくると、道路の向こうの林の中は一面銀世界でその雪も硬く凍っていかにも寒々としています。
下調べの知識が乏しく、このブライス公園の位置関係が到着当初ははっきりしなかったのですが、入場ゲートでもらったガイドブックで確認しました。
それによりますと12号を右折して南に向かいながら進行方向の左つまり東側にブライスキャニオンの奇岩群が広がっています。
最も奥の「Yovimpa Point」の手前にある「Rainbow Point」まではビジターセンターから約18マイル、24kmもあり少しずつ高度を上げながら、道の左側に沿ってView Pointが点在しています。
 最初に位置」するのが「Fairyland Point」だったのですが、ここはビジターセンターの手前から左に入り込んだところにあり見過ごしてしまいました。
続いて、「Sunrise Point」・「Sunset Point」・「Inspiration Point」などなど2~3km間隔で見応えあるView Pointが点在していて、それぞれのポイントごとに車を駐車場に停めて上から見下ろす形で進んで行きます。
ガイドブックを見て知ったのですが、最高のポイントは、何と言ってもこのブライスの公園名がついている「BrycePoint」でしょう。林立する尖塔岩の見事さこの世のものとは思えません。


「BrycePoint」
そんなブライスキャニオン最大の魅力ですが、あまり気に入る写真がありません。上の2枚の写真にしてもいまひとつの感はぬぐえません。その場で撮った写真を見ればいいのですが、また確認を怠ってしまったのですから非常に残念です。
このポイントは、「Inspiration Point」から少し奥まったところにありましたのでつい先を急ぎズルしてしまいました。前知識があれば当然ちゃんとしていたのでしょうが・・・。
道の両側、特に奥に向かって右側は何の変哲もない松林が続いていて、まさかこんなところに訪れた人々をアッと驚かせる大自然が広がっているとは想像も出来ません。
因みに一番奥に位置する「Rainbow Point」周辺は、標高が2.778mもありユタ州で最高高度の地でもあります。
さすがにここまでくると見晴らしは抜群で眼下や、はるかかなたの遠くまで大パノラマが広がっています。
ブライス・キャニオン国立公園は、近くのザイオン国立公園やグランド・キャニオン国立公園よりはるかに標高が高く、寒さもそれらの公園と比べ格別と言われています。
グランド・キャニオンのサウス・リムは 2,100 m 程度でしょうか。それでも結構な標高ですが・・・。
したがって、冬場の雪が激しい時など、ビジターセンターから3kmのところにある「Inspiration Point」周辺の数箇所のポイントから上は道路が閉鎖され行くことが出来ません。
ブライスキャニオン国立公園・「Farview Point」と「Natural Bridge」
この日は、気温は低かったのですが雪による影響がなく、幸運にも一番奥のポイントまで存分に楽しむことができました。
資料によりますと、ブライス・キャニオンには1850年代にモルモンの開拓者が住みつきその公園の名前は、1875年にこの地に入植したエベニーザー・ブライス (Ebenezer Bryce) に因んだものと言われています。
ブライス・キャニオン一帯は1924年に国定公園となり、1928年に国立公園に指定されました。
公園の面積は、145 km²(56 平方マイル)ですが、ザイオンやグランドキャニオンなどより交通の便がよくない離れた場所にあることが主な原因で他のふたつの国立公園と比べると訪問者はそんなにまで多くはありません。
しかし、公園の魅力の点ではどこにも負けておらず、訪れる観光客も増え続け、最近の年間訪問者数は140万人に達しています。
ただ、日本からの訪問者となるとどうでしょうか。ザイオンではツアーの日本客に出会いましたが、ブライスではそれらしき一団や個人は見かけませんでした。
ラスベガス発着のツアーですと相当距離がありかなりの時間的に余裕がないと、なかなか足を運べないと思います。
ブライスキャニオン国立公園・「Rainbow Point」と「Farview」
ブライス・キャニオンは、その名とは異なり、実際にはキャニオンというよりもむしろポンソーガント高原 (Paunsaugunt Plateau) の東側沿いの浸食によってできた巨大な自然の円形劇場(アンフィテアトルム)と言われています。
ブライス・キャニオンは、「土柱」と呼ばれる独特の地質構造を持ち、土柱は、風・水・氷による川床と湖床の堆積岩の浸食により形成されたものです。
そうしてできた赤、橙、白の岩の色が公園を訪れる人々に素晴らしい風景を見せてくれます。
また、このブライス公園は空気が非常に澄んでいるため、視界は至って良好です。
「Rainbow Point」には、前方の東側を写したパノラマ写真が展示してあります。
天気が良い日には134 km(84 マイル)離れたアリゾナ州のナバホ山と、グランドキャニオン・ノースリムに当たるカイバブ高原 (Kaibab Plateau) が見えます。今日は見えていました。
資料によりますと、さらに非常に良く晴れた日には、およそ320 km(200 マイル)離れたアリゾナ州東部とニューメキシコ州西部のブラック・メサ (Black Mesas) までも見ることが出来ると書いてありました。
これだけ空気が澄んでいるとさぞかし夜の星の数もすごいことでしょう。
残念ながら今回は観る時間的な余裕はありませんが・・・。
ブライスキャニオン国立公園最奥部
 前述しましたがブライスキャニオンに到着したのが午後の2時頃でした。
それから公園の奥に向け各ポイント毎に停車し、写真を撮りながら最奥部の「Rainbow Point」に着いた時は3時30分を過ぎていました。
昼食も取らずに一心不乱に可能な限り撮り続けたつもりだったのですが、あとで見ますと案外撮っていないものですね。
だから、なんとくなく物足らなさを感じるのでしょう。
ここでひとつ学習しましたので明日以降は「これでもかこれでもか」と撮るつもりでいます。
最奥部まで来ましたがこれから今夜の宿泊地のページに向かってひと踏ん張りです。
と言っても
この間の距離を計算しましたら184マイル、294kmもあります。
公園内をあっちこっちし、50km近く走った距離を含めると、
ST・ジョージのモーテルから今夜の目的地まで319マイル、510kmと言うなんとも日本では考えられないほどの強行軍です。
取り急ぎビジターセンター近くのレストランで腹ごしらえと給油をし、ページへ向け出発しました。
時間は4時30分。ほとんど日没を迎えています。
これから12号に出た後、USハイウェイ89号Northを西に走り、「Mount Carmel junction」を過ぎて、その先のKanabからUSハイウェイ89号Southを経由してページまでの長い道のりです。
はじめの計画通りであるなら、今日は日没前にページに入り、町の手前にある「Glen Canyon Dam」を見学し、さらに時間があれば郊外にある「ホースシューベント」まで訪ねるつもりだったのですが、とても行けそうになく翌日に延期しました。
 高原の日没は早く、辺りはもう暗くなっています。
街路灯なんて田舎の道にはありません。
わずかに人が住んでいるところが少し明るいくらいです。
それでもハイウェイですので制限速度は100kmに迫ります。
しかも片側一車線の対面通行。そんな道をアメリカ人は猛スピードで突っ走るのですから、視力があまりよくない私にとっては、それはそれは恐怖です。
しかもこの旅の期間中自動車損害保険のない身。
事故でも起こしたらそこでアウト、いわば執行猶予状態です。
左ハンドルですので対角の右端の白線を頼りに走行、幸いにも白線外の路肩が1m以上ありましたので追い抜く車はどんどんやり過ごしてひたすら安全運転に徹しました。
途中のKanabからは舗装し直したばかりの良い道路状態が続き、ブライスキャニオンを出て、3時間30分の午後8時ころ無事ページのモーテルにたどり着きました。

        アリゾナ州ページのモーテル「Americas Best Value Inn 」
 

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